複雑化する次代に分析で挑む」

「がん」に立ち向かうために。

厚労省の調査によれば、2015年における日本人の死亡原因の1位は、男女とも「悪性新生物(がん)」。

1981年にそれまでの死因トップだった「脳卒中」を抜いて以来、がんは現在までずっと日本人の死因1位であり続けています。

医療技術の進歩や早期発見・治療の推進でがん生存率は改善しているとはいえ、現在も年間35万人以上もの人ががんで亡くなっています。

社会の高齢化を背景に単位人口あたりの死亡率も急上昇しており、現在は日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなると言われます。

がんの革新的な予防法・診断法・治療法を確立していくことが、国全体の大きな課題となっているのです。

主な死因別にみた死亡率の年次推移(2015年)
主な死因死亡数の割合(2015年)
※出典:2015年人口動態統計月報年計(概数) (厚生労働省)

がんの恐ろしさは「転移」にある

がんは、正常な細胞の遺伝子が、細胞分裂する際に、あるいは発がん性物質や放射線の影響により突然変異を起こし、この異常細胞が分裂・増殖を繰り返すことから始まります。1個の異常細胞が、何年もかけて遺伝子変異が蓄積し増殖を重ねた結果、腫瘍ができます。この腫瘍が、いくつかの段階を経て次第に悪性化することで、臓器の正常組織を置き換える、もしくは圧迫するため、がんのできた組織・臓器の機能は衰えていきます。

さらに、ある組織にがんができると、周囲の正常な細胞や、隣接する他の組織に侵入する「浸潤」や、一部の細胞が本体と離れて血液やリンパ液中に入り他の部位や臓器に飛び火する「転移」が起こります。

実はこれが、がんという病気の一番の恐ろしさです。近年は医療の進歩によって、個々の腫瘍に対する手術の成功率は高まっています。にも関わらず、がんが治らず再発してしまうのは、目に見えないレベルの小さながん細胞が、すでに違う部位に浸潤・転移しているからです。仮にこうしたがんの浸潤・転移がなく、発生した場所に留まっていれば、手術で完全に切除することにより根治する可能性が高い、というのが現代の医学的見解です。

病期ごとの代表的な状態

I期

リンパ節への転移なし

II期

同じ側の肺門リンパ節に転移している

III期A

同じ側の縦隔リンパ節に転移している

III期B

反対側の縦隔・肺門リンパ節や肺の周りに転移している

IV期

肺のさまざまな場所や脳、骨、肝臓などに遠隔転移している

がん転移のメカニズムを解明する。

HORIBAの計測装置を活用し画期的がん治療薬の開発につながる基礎研究を推進
東京大学 医科学研究所 人癌病因遺伝子分野 助教
伊東 剛

がんの浸潤・転移に深く関わる細胞接着分子「CADM1」

がんという病気は、発生した局所(原発巣)で増殖している場合には外科手術や放射線治療などが有効ですが、がんが転移すると、抗がん剤による化学療法や免疫療法など限られた治療法しかありません。固形がんによる死亡原因の大部分は、この浸潤・転移によるものだと言われており、がんの浸潤・転移を抑える薬剤の開発が待望されています。

そのためにはまず「転移はどのようにして起こっているのか?」というメカニズムを解明する必要があります。私たちのグループでは、分子生物学的なアプローチによって、この「転移のメカニズム」を研究しています。

がん転移の出発点は、がん細胞同士の接着が失われることにあります。そこで私たちが着目したのが、細胞の接着に関わる「CADM1」という遺伝子です。CADM1は主に肺、脳、精巣などで細胞の接着に関わっているのですが、肺がんをはじめとする上皮細胞由来のがんにおいては、がんの進行にともなって発現の欠如や低下が高い頻度で認められます。また、CADM1の発現をがん細胞に戻すと増殖や転移が抑制されます。このことからCADM1を介した細胞間接着が、がん細胞の増殖及び浸潤・転移の抑制に機能する、つまりCADM1はがん抑制遺伝子として機能すると考えられます。

ただし一方でCADM1は、成人T細胞白血病(ATL)や、小細胞肺がんなどのがんでは、過剰に発現し、血管内皮細胞との接着を促すことで、がんの浸潤・転移を促しています。つまりそこではCADM1ががん遺伝子として働いているわけです。

上皮細胞とATL細胞におけるCADM1の2つの異なる役割

細胞膜上の分子間相互作用を解析
接着分子の働きの二面性を解明する

CADM1が、組織によってこのような正反対の機能を発揮する理由の一つは、細胞膜表面でCADM1が結合している分子の違いによるのではないか、と私たちは考えており、CADM1と結合する相手方分子との間に、どのような分子間相互作用が起きているのかを解明するための研究を続けています。

しかしこの結合は非常に弱く、従来の分子生物学的手法ではこれを検出するのはとても難しいという問題がありました。この問題を克服すべく、私たちが最近活用を始めたのが、HORIBAのSPRi(表面プラズモンイメージグ)装置「OpenPlex」です。OpenPlexを使った、様々な組織の細胞膜表面分子とCADM1の結合・解離に関わる各種パラメーターのデータを収集し、結合相手の同定や結合の親和性などを解析していくことで細胞接着による浸潤・転移の制御機構について研究を進めています。

がん抑制遺伝子とがん遺伝子という二面性を持つCADM1の働きを明らかにできれば、がんの浸潤や転移を抑えるという画期的な医薬品の開発につながることが期待されます。現在の分子標的治療薬は、細胞増殖を直接阻害する薬剤がほとんどで、浸潤・転移を抑える医薬品は、まだ開発されていません。私たちの基礎研究を、がんの浸潤・転移を制御する、全く新しい診断や治療法に結びつけていければと考えています。

分子間相互作用解析装置OpenPlex

分子間相互作用の同時解析が可能

原理 表面プラズモン共鳴イメージング(SPRi)
光源 LED 810nm
検出器 8bit CCDカメラ 752×582pixels
光学分解能 50μm