当社は、創業者 堀場雅夫「お別れの会」を、9月9日に国立京都国際会館にて執り行いました。地元京都をはじめ、国内外から多くの方々にお集まりいただき、誠にありがとうございました。「お別れの会」の概要を下記の通り、お知らせします。
日時/場所 | 9月9日(水)11:00~14:00/国立京都国際会館 | |
(以下、敬称略) | ||
茶湯の儀:裏千家 前家元 千玄室 | ||
追悼献奏:祇園 福奈美 | ||
追悼の辞:お別れの会委員長 村田純一 | ||
お別れの言葉: | ||
献花 | ||
ご参列者数 | 約5,000名 |
謝辞:喪主 堀場厚
去る7日14日、父は他界しました。その日は、当社で過去最大となる英国の企業買収を記者発表した日でした。私は発表後すぐに病室へ戻り、買収の成功を心配していた父に耳元で報告しました。すでに意識はありませんでしたが、そのあと大きな息を一度して、安らかな眠りにつきました。
父は“常にユニーク、常に独創的”を哲学とし、人生を“おもしろおかしく”全うしたと思います。また、熱心なロータリアンでした。ガバナーを務めさせていただき、55年間のロータリー活動の出席率は100%であり、常にベストを尽くすことを自ら我々に示してくれました。
私共は、堀場雅夫のおもいを引き継いで、その哲学やベストを尽くす姿勢を世界に広げていくことが使命でもあると思っております。今後とも皆様にご支援をいただき、その使命を少しでも成し遂げてまいります。
堀場雅夫メモリアル展示会
生誕から90年の足跡
堀場雅夫が愛した遺品
メモリアル展示会の様子
以上
堀場雅夫について
生年月日:1924年12月1日/京都市出身 |
2015年7月14日死去(90歳) |
経歴
学歴 | 1946年9月 | 京都帝国大学 理学部 物理学専攻卒業 |
1961年2月 | 医学博士号取得 | |
職歴 | 1945年10月 | 堀場無線研究所創業 |
1953年1月 | (株)堀場製作所設立、代表取締役社長就任 | |
1978年1月 | 代表取締役会長就任 | |
2005年6月 | 取締役会長退任、最高顧問就任 | |
主な受章・受賞 | 1982年11月 | 藍綬褒章受章 |
2006年3月 | 米国ピッツコン・ヘリテージ・アワード受賞 |
主な著書 | 「イヤならやめろ!」(日本経済新聞出版社) |
「仕事ができる人 できない人」(三笠書房) | |
「おもしろおかしく生きろ!」(PHP研究所)他 |
略歴
1924年(大正13年)、京都市生まれ。1945年(昭和20年)、京都帝国大学理学部在学中に堀場無線研究所を創業。学生ベンチャーの草分けと呼ばれる。国産初のガラス電極式pHメーターを開発し、1953年(昭和28年)、堀場製作所を設立した。社員に博士号の取得を推奨し、自身も1961年(昭和36年)に医学博士号を取得。「おもしろ おかしく」を社是として、ベンチャービジネスのモデルともいえる企業を作りあげた。1978年(昭和53年)に会長、2005年(平成17年)取締役を退任し最高顧問。
社長退任後は、京都産業情報センターや京都高度技術研究所の設立に尽力したほか、全国イノベーション推進機関ネットワーク会長、京都市ベンチャー企業目利き委員会委員長などを務め、地元京都にとどまらず全国の起業家の育成にも力を注いだ。
また、2006年(平成18年)には、分析化学の世界で最も権威ある「ピッツコン・ヘリテージ・アワード」を欧米人以外で初めて受賞し、併せて27人目の殿堂入りを果たした。