
マイクロアナリシス
高い専門性を必要とした電子顕微鏡観察が変わろうとしている。難しかった試料の前処理がたった10秒で終了。研究者のアイデアを自由自在に顕微鏡観察で実現できる。
新発想が
顕微鏡観察を変えた
いまナノテクノロジーが、さまざまな産業に大きな変革をもたらしている。なかでも、鉄鋼、半導体、セラミックスなどの高機能素材の開発には、ナノ領域での材料設計が不可欠だ。電子顕微鏡をはじめとする高機能の顕微鏡による材料解析・評価は、新素材の開発や製造プロセスの改良を支える基盤技術であるといっていい。
しかし反面、研究開発の現場には、現在の電子顕微鏡の使い勝手の悪さを指摘する声もある。「解像度などのスペックは高まっているが、観察の試料前処理や操作性など、研究者にとって必要な観察環境の改善が進まなかったからだ」と指摘するのは慶應義塾大学経済学部化学教室の清水健一教授だ。
一例をあげれば、鉄鋼組織をSEM(走査型電子顕微鏡)で観察するための前処理である「組織出し」では、試料に適した研磨方法や仕上げであるエッチング液、エッチング条件に高い専門性が必要なうえ、処理に何日もの時間を要することがある。また、エッチング段階で表面組織に変化が起こるため、思うような観察ができないこともある。研究者の優れた研究アイデアも、この観察段階で断念せねばならないことも多いのだ。
誰もが簡単に短時間で、表面を損傷することなく組織出しできる、夢のような前処理方法はないものか?それを実現したのが、清水教授と堀場製作所が共同開発した新しい試料前処理技術である。
新しい技術は、堀場製作所が表面分析のために開発した「rf-Grow Discharge plasma装置」(以下rf-GD)のユニークなスパッタリング※ 特性を、顕微鏡試料の表面処理に用いるという画期的な発想により生まれた。実証研究を積みかさねることで、従来の約1000分の1以下である10秒で表面処理が可能になるうえ、前処理時にエッチング薬品を使用しないため、廃液処理が不要など環境負荷も軽減できることが分かってきた。
「もっとも重要なのは、操作が簡単で熟練具合による個人差がないこと。観察の手技にとらわれず、研究者は本来の研究内容で勝負できるようになる」と清水教授。操作性の向上により、顕微鏡は研究者の創造性を引き出すための道具になると清水教授は期待している。
※固体の表面に高いエネルギーのイオン粒子を衝突させると、固体表面の原子が外へはじき出される現象
より簡単に、
より精細に
清水教授と堀場製作所が共同開発した表面処理技術のメカニズムを示したものが図1である。ごく簡単に説明すれば、rf-GDでは、真空にした空間のなかに高エネルギーを与えてプラズマ化したアルゴンイオンを満たし、この高速のイオンが試料の表面元素を少しづつはぎとっていくこと(スパッタリング)で表面の不純物を取り除くとともに、結晶構造などを浮き彫りにしていくということになる。そして、この技術には従来の表面処理にない優れた特徴があることも分かってきた。
■表面を変質せずクリアな組織出し
rf-GDでは、従来のイオンビーム装置による表面処理と比較して試料をスパッタするアルゴンイオンが50eVと非常に低いという特徴がある。イオンが試料のなかに侵入する深さはエネルギーに依存しているため、rf-GDではイオンの侵入は1原子層の厚さにも満たない。そのためイオンの侵入による表面の損傷や変質(mixing層の形成)はほとんど問題にならないうえ、1原子レベルの細かい「組織出し」による精細な画像を得ることができる。
■処理時間の短縮化
rf-GDでは、イオンエネルギーは低くても、電流密度は100mA/cm2と非常に大きいという特徴がある。これによりスパッタリングの速度が非常に早い。鉄鋼などでは、鏡面研磨した試料の表面付近のダメージ層だけを取り除けばいいので、スパッタリングに必要な時間はわずか10秒にすぎない。また、rf-GDでは超高真空は必要ないので、試料をサンプルホルダーに取り付けてから処理終了までの時間は10秒ほどですむ。
試料をサンプルステイにセットし、真空に減圧した状態で、不活性ガスを流し、高周波を印加すると、電極と試料の間で、プラズマが生成します。このプラズマがマイナス側に帯電した試料に衝突することで、試料表面の原子を剥離させることができます。この時のイオンエネルギーは約50eVと低いですが、電流密度が 100mA/cm2と大きいため、試料表面をソフトかつ高速に前処理することができます。
図1:スパッタリングの原理
日本の産業を
回復するカギ
「実験を重ねた結果、rf-GDによる表面処理は簡便で短時間というだけでなく、FE-SEM(電界放出型走査型電子顕微鏡)など新しい顕微鏡と組みあわせることで、これまで不可能だった組織の画像を得ることもできるようになった」と清水教授はいう。
例えば、写真1は旅客機のランディングギアなどに用いられる特殊な溶射皮膜処理をしたチタン合金表面である。aは、150倍の低倍率で撮影したもので、皮膜界面に沿って長さ1mmまでの広い範囲が観察できた。さらにb、c、と拡大していくにつれて、皮膜のなかに分散しているタングステン、炭素、コバルトなどの粒子、微細な結晶の界面などがはっきりと撮影できている。
「このように広い領域から微細な構造までを短時間に評価するということは、従来の顕微鏡ではできなかった。rf-GDとFE-SEMの組みあわせは、こうした最先端の機能素材の開発のスピードアップにつながる」と清水教授。誰にでも使える顕微鏡技術の開発は、研究開発の創造性を高め、日本の産業の競争力の回復にもつながりそうだ。

- 写真1:溶射皮膜の断面
顕微鏡観察に革新をもたらした、
堀場製作所のスパッタリング技術
今回開発された、rf-GDによる試料前処理技術を生み出すもととなったのは、グロー放電で培われたArスパッタリング技術である。その技術により次のような顕微鏡観察の効率化が実現した。
(1)従来と比較して圧倒的に短時間で表面処理が可能になった。
(2)試料のダメージを最小限にすることができる。
(3)1原子レベルの精細な表面出しが可能になった。
(4)環境負荷を最小限にすることができる。
(5)顕微鏡の有効利用を図り、研究の効率化が達成できる。
堀場製作所は、rf-GDの基本原理を応用し、顕微鏡試料前処理装置の専用機を商品化しました。2006分析展(千葉)、第16回国際顕微鏡学会議(札幌)で、発表展示いたします。
《金属の前処理例》
結晶方位にそった金属組織が出ます。

- イオン照射前

- イオン照射後
慶應義塾大学
経済学部化学教室教授
清水健一
金属表面化学、表面分析の第一人者。東京都立大学博士課程を修了後、マンチェスター工科大学客員研究員、電気化学工業中央研究所、慶応大学理工学部専任講師などを経て、1996年より現職。1986年に軽金属学会論文賞を受賞。
この内容は日経サイエンスに掲載されたものです。
日経サイエンスWebサイト
http://www.nikkei-science.com/


