炭素材料は、隣接する炭素の結合状態とそれを秩序正しく並べた構造の種類によって、様々な形態を有します。その結合状態と配列構造の違いによって、新たな物性を発現させることができ、用途に合わせた設計を可能にします。たとえば、集積回路基板に用いる半導体材料として、シリコンより優れた電気特性を有するドープされたダイヤモンドの開発や、コンピュータディスクの強化材として用いる硬質炭素膜材料の開発など、我々の生活に活きる技術として炭素材料の開発と応用が広がりを見せています。
ラマン分光法は、材料が持つ様々な形態の違いを分子振動由来のスペクトルの変化として調べる手法です。以下の解説は、製造プロセスの設計、モニタリングおよび制御における炭素材料のキャラクタリゼーションを目的としてラマン分光法を使用する際にお役立ていただけます。
炭素原子は4つの最外殻原子軌道を有し、その電子対の作り方の違いによってsp2混成軌道やsp3混成軌道が存在します。sp2混成軌道は、3回回転対称性の平面構造を有した芳香族分子や結晶性黒鉛(グラファイト)中に見ることができます。一方、sp3混成軌道は、メタンやダイヤモンドなど正四面体状に結合した炭素の骨組みを形成します。自然界で得ることができる炭素材料の中で最もよく知られた形態は、グラファイトとダイヤモンドです。近年、フラーレンやカーボンナノチューブとして知られているsp2混成軌道を持った物質も注目を集めています。いくつかの一般的な形態の炭素材料について、そのラマンスペクトルをFigure1に示します。
ダイヤモンドは、sp3混成軌道を持った炭素の結合を無数に延長することで得られる物質です。ダイヤモンドは自然界で最も硬い物質の一つですが、実際は準安定形態であり、高圧・高温溶融物から析出します。ダイヤモンドは、以下の特性を持ちます。
このような特性により、ダイヤモンドを利用した設計材料は関心を集めています。ダイヤモンド繊維(グラファイト繊維も同様)は、補強のために金属または高分子複合材に使用されます。これらの炭素材料は、高い熱伝導性と耐熱性を有し、レーザーダイオードなどの高出力マイクロデバイスやオプトエレクトロニクスデバイスから発生する熱を散逸するヒートシンク基板材に理想的です。また、窒素、ホウ素またはリンをドープしたダイヤモンドは、高速電子移動性やその制御性能からトランジスタなどの電子デバイスに最適な半導体材料と言えます。ダイヤモンドは、UV波長範囲で高い反射率を有するため、将来、UV光学機器(回折格子、ミラー)を実現するために使用することができると考えられます。しかし、ダイヤモンドを成長させる唯一の方法が、高温・高圧を必要とするため、ダイヤモンドは多くの用途に対して経済的な課題を抱えています。
ここ10年にわたり、CVD(化学気相成長)反応器中で、よりおだやかな条件下でダイヤモンド膜を成長させることができることを、多くの研究者が実証してきました。しかし、ダイヤモンドは熱力学的に安定な相でないため、ダイヤモンドの堆積に付随してsp2結合炭素が生じることが知られています。ラマン分光法は、そのごくわずかな量のsp2炭素も高感度に検出できるため、その膜の研究に用いられています。
ラマン分光法は、CVD膜中のダイヤモンドの存在を示すことに加え、得られたラマンバンドの強度や波数によってダイヤモンドの様々な物性を調べることができます。単結晶ダイヤモンドでは1332cm-1 にラマンバンドが現れます。その膜に圧縮応力や引張応力を加えると、ダイヤモンドのラマンバンドはそれぞれ高周波数側と低周波数側にシフトします。このような膜では、バンドの半値幅が試料の不均一性に起因して広がることがあります。ラマン分光法を用いると、以下の品質指数からダイヤモンド膜の特性評価を行うことができます。
Figure2は、非ダイヤモンド炭素を含有するダイヤモンド膜の典型的なラマンスペクトルです。このスペクトルは、様々な成分の寄与を定量化するために、バンドフィッティングを施し、得ています。YarbroughとRoyは、ダイヤモンドの堆積にとって厳しいCVD条件下では新しい相が現れることを示唆しています(MRS 1988 Symposium, Diamomond and Diamond-like Material Synthesis. Ed. Johnson, et. ak., pp-33-38)。この論文中のXRD(X線回折)の結果は、「ナノ結晶ダイヤモンド」の存在を示していますが、ラマンスペクトルは、他の炭素で見出されているいかなるものとも異なっています。これらの材料から得られたラマンスペクトルから、1140 cm-1と1450cm-1に半値幅の広い新たなバンドが現れていることが報告されています。
ラマンスペクトルを調べることで、炭素秩序と配向を定量化することができます。ピッチおよびPAN(ポリアクリロニトル)から製造された「炭素繊維」のスペクトルは、長距離秩序の違いだけでなく、繊維中のグラファイトの配向と関連したラマン信号強度の偏光依存性を示します(Adar and Noether, in Microbeam Analysis – 1983, 269-273)。
「硬質炭素膜」は、コンピュータ産業におけるハードディスクの製造や磁気ヘッドに一般に使用されています。CVD装置のパラメーターを操作することにより、膜の物理特性とトライポロジー特性とラマンスペクトルが相関していたことから(J. Ager, IEE, Trans Magn, 1992)、膜の特性の迅速な確認法としてラマンスペクトルが使用されます。このような硬質膜は、切削工具や外科手術用メスの摩擦特性の改善や、医療用インプラントを不動態化するために使用されます。
Figure 3aおよび3bは、それぞれ、欠陥の種類の違いによって、2つのバンドと3つのバンドによってフィッティングした各炭素膜からのラマンスペクトルを示しています。Figure 3bに示すスペクトル特徴を持った膜は、Dバンドと第二の欠陥バンド(1500 cm-1)を有していることから、種類の異なる格子欠陥を有していることがわかります。
60原子および70原子の炭素のクラスターが自然界に存在する可能性があるという理論的提言から理論研究が先行した後、実験研究において煤からフラーレンが単離されました(Kroto, et, al,. Nature 318, 162, 1985)。炭素で構成される6員環をつなげることでボール、チューブおよびカプセルを表現することができ、その内、いくつかについてはラマンスペクトルを得ることができます(Bethune et al., Chem. Phys. Lett, 174, 219, 1990)。他の形態の炭素ではラマンスペクトルの指紋領域(100-1800 cm-1)に最大で3つのバンドが含まれ、そのうちの一部は半値幅が太い場合がありますが、これとは対照的に、上記の材料のラマンスペクトルには、非常に鋭いバンドが多数含まれます。
カーボンナノチューブでは、その直径とカイラリティ(グラファイトをチューブ状に巻いたときの巻き角)によってラマンスペクトルの変化を得ることができます。全種類の炭素におけるラマン散乱に関する優れた創設に、ナノチューブの詳細な解説が記載されています(Dresselhaus, Pimenta, and Eklund, Ramab Scattering in Carbon Materials, Chapter 9 in Analytical Applications of Raman Spectroscopy, ed M. Pelietier (Blackwell, Oxford, 1999))。
カーボンナノチューブはカイラリティの違いによって半導体あるいは金属特性を示します。カーボンナノチューブは、電気特性の制御性能と数ナノメートル径という非常な小さな構造体であることから、ナノエレクトロニクスや電界エミッタなどの次世代デバイスとしての応用が期待されています。
炭素材料から得られるラマンスペクトルは各種形態によって多様であり、精確に構造や物性を評価することができます。一つのスペクトルを調べることで構造と各物性の評価が行えることから、ラマン分光法は炭素材料の評価に最適な技術です。
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