源氏物語図屏風の顔料分析 ~大切に受け継ぐために~

|   はかる

平安時代に紫式部によって制作され、時代や文化を超えて今や世界中で愛されている『源氏物語』。この『源氏物語』54帖が描かれた源氏物語図屏風(げんじものがたりずびょうぶ)の顔料を分析しました。


作品を知り、継承する

「本屏風は、妻の実家が1920年ごろに取得したもので、大切に受け継いでいかなければいけないという気持ちがありました」と語るのは、本屏風を所蔵する大川 陸治(おおかわ りくじ)様。奥様のご実家は、日本酒「美人長(びじんちょう)」を醸造する鳥取市青谷町の西本醸造所です。大川様は、源氏物語や本屏風について理解を深めるために多くの文献を読み、1990 年9月には絵巻と大和絵を専門とする美術史家の白畑よし先生による鑑定を受けました。
白畑先生の鑑定によると、「源氏物語が順を追って54図描かれており、時代は元禄年間(1688年~1704年)と思われる。絵具の変色も少なく描写も緻密、土佐派によって定型化された小画面細密画の伝統を踏まえるとともに、元禄文化を反映して機知にとんだ創意工夫がなされており、狩野派系の作品と思われる。絵の風格、使用絵具から見て岡山の林原美術館(池田藩)の源氏物語屛風(狩野派)と比較しても勝るとも劣らない」との評価を得ています。この高評価を受けて、大川様は約300年以上前の日本の美術品を後世に残す必要があると考え、1993年11月に大阪市立博物館に寄託し、1993年から2年間かけて保存修復を行い1996年に展示、2017年3月からは和泉市久保惣美術館に寄託されています。修復は、学芸員のご紹介で大阪市立美術館内修理室の京美術表具師 前橋 潤一氏に依頼されました。源氏物語図本体以外の部分を屛風の裏側から修復するにあたり、化学製品、防虫剤は一切使わず沈糊(小麦粉から)を使用、縁はヒノキ、黒漆のつや消し、鳥の子紙,雀型(押し型)を用いて、材料にもこだわって修復が行われました。
大川様は白畑先生による評価の裏付けと、使用された顔料を分析し新たな事実解明を行うべく、東海大学の田口 かおり(たぐち かおり)先生に科学調査を依頼され、今回田口先生を通して美術品の顔料分析において実績を持つHORIBAに顔料分析調査の依頼をいただきました。田口先生とはフィンセント・ファン・ゴッホの絵画《白い花瓶の薔薇》や《草地、背景に新しい教会とヤコブ教会》の調査で分析協力しています。他にもHORIBAはクロード・モネ《睡蓮、 柳の反映》や宮沢賢治の詩「S博士に」の直筆草稿、彩飾写本リーフなど、多数の文化財、美術品の科学分析に協力しています。


測定箇所について事前打ち合わせ
左から:田口先生、大川様
 

「元素の目」で作品を見る

本屏風の測定は、蛍光分析装置を用いて行いました。
「蛍光X線分析法は非破壊の元素分析法であり、ある程度の制約や限界はあるものの、作品制作において使用された彩色を推測することができます。私たちが目で見ることができない元素が生み出す世界を見ることで作品の工程が明らかになることがあり、とても興味深いです」と、田口先生。
通常の絵画であればX線分析装置を用いてイメージング分析を行うことが可能ですが、今回は横約3600 mm 、縦約 1800 mmと非常に大きな屏風だったため、図屏風中の 22 か所をポイント分析しました。

 

作品の調査成果を底上げする分析結果に

これまでに実施された源氏物語図屏風の調査結果を踏まえ、白は貝殻を主成分とする胡粉(ごふん)が使われておりカルシウム(Ca)が検出されるのではないか、また赤はベンガラが使用されていることから鉄が出るのではないか、青は群青が使用されていることから銅(Cu)が検出されるのではないかなど、田口先生はそれぞれの色から検出されるであろう元素について先行研究をてがかりに予測を整理した上で調査に臨まれました。
「人物の顔や着物から空、樹木、欄干、雪など、22か所を分析したところ、白色が効果的に用いられているであろう部分からはカルシウム(Ca)が検出されており、白の顔料におそらく貝殻由来の胡粉の使用が推測されるデータが得られました。肉眼で藍色や黒色にみえる着物からは銅(Cu)が検出され、緑青や群青などの顔料の使用が伺えました。また、欄干や床など藤色や桃色の部分からは水銀(Hg)が検出され、鉱物の辰砂(しんしゃ)が白い顔料に混ぜ込まれ混色がつくりだされたことが推測できました。おおむね予想を裏付ける結果を得ることができ、これまでに蓄積されてきた源氏物語図屏風の元素に関する調査成果を一層底上げする分析結果になりました」と、意義のある分析結果が得られたことに喜びを示していただきました。


元素から見る源氏物語図屏風の特長 使用絵具が明らかに

田口先生は、「本作品ではさまざまな絵の具が豊かに使われ、胡粉の盛り上げ技法も細やかであり、おそらく孔雀石や藍銅鉱などの天然鉱石を原料とした絵具を使用しており、保存状態も大変良いという印象です。高価な顔料である群青や緑青を随所に使用していることからも、贅沢に制作されたものであると思います」と図屏風の特徴を指摘されています。
本屏風が制作されたと思われる元禄年間(1688~1704年)にかけては、かなりの数の屏風が武家の嫁入り道具などのために作られていましたが、一つひとつの描写や仕上げの緻密さ、細やかな胡粉の盛り上げ技法などからも、高価な顔料を潤沢に使用して本作が制作された経緯が窺えます。源氏物語図を適正に保存しながら丁寧に修復されており、全体的に非常に良い状態を保っていることもあわせて確認できました。

 

使用された素材についておおむね予想どおりの結果を得た一方で、源氏物語第20 帖「朝顔」の雪遊び―「雪まろばし」の情景が描かれた箇所でも興味深い発見がありました。田口先生は、調査報告書で以下のように触れられています。
「冬の月夜、源氏は従姉妹にあたる朝顔の君にきっぱりと拒絶され、傷心のさなかにある。そばに控える紫の上は、源氏と朝顔の関係にやきもきして機嫌が悪い。そんな彼女をあれこれ言葉を尽くして構いながら、源氏は庭で雪遊びをする童女たちを眺める。朝顔は、しばしばこの場面とともに語られます。なぜ童女たちが夢中で転がしている雪だるま状のものは真っ黒なのか疑問に思っていましたが、作品調査の過程で顔料の成分を分析した結果、童女の手中の小さな雪玉からはカルシウムが、大きな雪塊からは銀が検出されました。このことから、雪玉は貝殻を主成分とする胡粉で、大きな雪塊には銀が施されたことが明らかになりました」「銀には硫化反応によって徐々に変色するという性質があり、おそらく制作当時は光り輝いていた大きな雪塊は今日に至るまでの過程で黒く変化したのでしょう。絵師の意図からはおそらく外れたことだと思いますが、黒い雪塊と、童女のあどけない身振り、小さな雪玉の対比が、なんともいえない面白さを生んでいます。作品の経年変化が演出した黒い雪に、源氏の闇と秘められた罪がふと重なり、興味深い発見となりました」
夜空に輝く月も、元は光り輝く表現だったものが、銀が酸化して黒色に変化しています。
「目で見るだけでは分からない。元素を調べることで、当時のことを想像してみることができる。科学調査を通じて、どのような素材を使って当時の人が制作していたのかが見えると人間味がでてくる。作品を描いた絵師におもいを馳せることができるのではないかと思います」

貴重な文化財を守り受け継いでいきたいという強いおもいで長年奔走された大川様。
「屏風が元禄に生まれてから300年有余、その後、鳥取の西本家が取得してから約100年、1990年に元NHKの大塚融氏、大阪市立博物館学芸員の松浦清氏お立合いのもと、白畑先生に自宅(兵庫県川西市)で鑑定いただいて以来30年余り。立派な蔵を持ってない私としては適切な保管をするために、大阪歴史博物館の松浦、岩佐学芸員、和泉市吉田副市長、元NHK大塚融氏、阿形哲夫氏及び和泉市久保惣記念美術館 河田館長、橋詰副館長、後藤学芸員をはじめ、多くの方々に大変お世話になっております。また、今回は東海大学の田口かおり先生とHORIBAの皆様とともにトップクラスの調査をしていただき大変感謝しております。この場をお借りして厚くお礼申し上げます」と調査に協力された方々へ感謝の意を示され、今回の調査を締めくくられました。


1990年、鑑定時。白畑よし先生のご自宅前にて。(写真提供:大川 陸治様)
左から:白畑先生、元NHK大塚 融様、大阪市立博物館学芸員 松浦 清様

※白畑よし先生(1906~2006年):1928年 文部省美術研究所(東京国立文化財研究所)、1952年~1968年定年 京都国立博物館

(測定日:2021年12月、インタビュー実施日:2022年4月)


東海大学 教養学部 芸術学科 准教授 / 情報技術センター 研究員
田口かおり
国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科を修了し、フィレンツェ市内の修復工房で勤務。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PD、東海大学創造科学技術研究機構・特任講師(文部科学省卓越研究員)を経て、現職。作品の保存・修復や研究を行いながら、展覧会で来日する作品の点検やメンテナンスにも携わる。

 

左から:株式会社堀場テクノサービス 三木 淳平、中野 ひとみ、森田 麻由、東急不動産株式会社 元常務 大川 陸治様、東海大学 教養学部 芸術学科 准教授/情報技術センター 研究員 田口 かおり先生、株式会社堀場テクノサービス ジュニアコーポレートオフィサー 駒谷 慎太郎

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