科学の力で紐解く芸術の真実―分析技術が美術界に与える新たな価値とは

田口先生による作品の分析調査風景

2024年、高知県立美術館が所蔵する絵画《少女と白鳥》の真贋が疑われるという知らせが届きました。その背景には、近年の美術界を震撼させた「贋作の巨匠」として知られるヴォルフガング・ベルトラッキ氏の逮捕劇があります。彼が手掛けたとされる贋作が次々と明らかになる中、高知県立美術館は、ドイツ・ベルリン州警察などから情報提供を受け、この作品の真贋判定のための調査を開始しました。

今回お話を伺う、京都大学准教授・修復家の田口かおり先生は、これまで美術品の保存修復や科学分析調査において数多くの成果を上げておられます。高知県立美術館とも、過去に美術作品の調査を通じて交流があり、長年築かれた信頼関係から、田口先生にカンペンドンク作とされる絵画《少女と白鳥》の科学分析調査が依頼されました。この科学分析調査にHORIBAも協力しました。

「科学分析を通じて絵画の内部構造や組成を解き明かすことは、作品そのものの成り立ち、技法、そして制作の背景を深く理解する上でとても大事なことだと思っています。保存修復に携わる者としても、来歴や技法を丹念にたどることは、作品の歩みを正しく捉えるために欠かせない作業です」と田口先生は語ります。

カンペンドンク作とされていた絵画《少女と白鳥》とは

「今回の分析調査の対象となったハインリヒ・カンペンドンクの《少女と白鳥》は、カタログレゾネ(catalogue raisonné、ある美術家の全作品を時代や主題別に分類・整理した目録)に情報が記載されながらも、長らく行方不明とされていた作品です。」田口先生はそう語りながら、この作品がもつ特異な来歴について解説してくれました。

《少女と白鳥》がこれまで真作として扱われてきた背景には、誰も見たことのなかった「幻の作品」が突如として現れた、という物語が持つ魅力がありました。作品の「発見」が、多くの専門家や美術関係者に衝撃と感動を与えたことはまぎれもない事実です。さらに、贋作者は作品をもっともらしく見せかけるため、念入りな来歴詐称を行いました。裏面には偽の来歴ラベルを貼るなどの細工を施し、真作のように見せかけるための演出を徹底していたのです。さらに、贋作の作者であるベルトラッキが、カンペンドンクらしい特徴を巧みに模倣していたことも、真贋判定を困難にする要因となりました。豊かな色彩やファンタジックな動物の描写、森の風景など、カンペンドンクの技法を思わせる要素を盛り込むことで、見る者に「《少女と白鳥》は確かにこういう作品だったのだ」という印象を与えたのです。これらの巧妙な手口があいまって、人々に贋作を真作だと信じ込ませる状況がつくられていったといえるでしょう。

 

  
[写真]高知県立美術館の外観
[絵画]ハインリヒ・カンペンドンクを詐称したヴォルフガング・ベルトラッキ《少女と白鳥》 1990年代、高知県立美術館蔵

科学が語る作者の痕跡―XRFとラマン分光分析が解き明かす真実

X線分析顕微鏡「HORIBA XGT-9000」を使った作品の分析調査風景

美術品の調査は、作品の技法や構造を確かめ、修復の痕跡を検証する基礎調査から始まります。その後、必要に応じて、より詳細な科学分析調査を段階的に実施します。

まず、蛍光X線分析(XRF)を行いました。XRFは絵具に含まれる金属元素を特定するために有効で、顔料分布や色の構成を確認する初期調査に欠かせないツールです。この分析によって基本的な顔料の情報を得ることができ、次のステップへの道筋を立てることができます。今回の調査では、分析室に入らない大きなキャンバスの分析が可能なハンドヘルド型X線分析装置と、数十マイクロメートル(μm)サイズの微小な部位を分析ができるX線分析顕微鏡「HORIBA XGT-9000」を使用しました。

次に活用したのが顕微ラマン分光分析装置です。顕微ラマン分光分析装置は微量のサンプルから化学構造を解析できる非常に高感度な技術で、XRFでは読み取れなかった顔料の詳細な化学構造情報を得ることが可能です。今回は絵画の端から1mmにも満たない極微細な量を採取し、青・緑・赤(ピンク)・白といった基本色について分析しました。

過去と現在を結ぶ絵具の証拠

ラマン分光分析によって驚くべき発見がありました。それは、《少女と白鳥》が描かれたとされる1919年にはまだ画材として一般的ではなかったはずの顔料、「フタロシアニンブルー」「フタロシアニングリーン」「チタニウムホワイト」などを検出したことです。これらの顔料が含まれる絵具は、1930年代以降により広く流通するようになるものであり、ベルトラッキの贋作によく使用される指標的な材料です。この発見が、今回、作品の真贋を判断する際の重要な証拠の一つとなりました。

ラマン分光分析の感度の高さは、非常に微細なサンプルでも絵具の化学構造を特定することを可能にします。砂粒よりも小さなサンプルからでも、絵具の情報を引き出し、データベースや比較対象のサンプルと比較することで、「これが何か」を確かめることができます。その精度の高さには本当に驚きました。科学の目は、ときに時代を超えて、物質の正体をあかす力を持っていると思います。絵画がその時代に存在し得ない材料で構成されていることを示す。この分析結果が、作品の正体を見極める上で極めて重要な役割を果たしたと感じています。

 

  
顕微ラマン分光分析装置を使った絵具顔料の分析調査風景

サンプル採取―破壊的調査の特別な許可

今回の調査で特筆すべき点は、絵画から絵具層のサンプルの採取が許可されたことです。日本の美術館で破壊的な調査を実施するのは稀なことです。作品からのサンプル採取には当然リスクが伴うため、不必要な場合には決して行いません。どうしても明らかにすべき課題がある場合にのみ、必要最小限の範囲で実施し、作品にとって可能な限り負担や危険の少ない方法を選ぶ──これが基本原則です。

しかし、今回はベルリン州警察などからの情報提供や偽造ラベルの確認、先行研究の検討などが事前にあり、《少女と白鳥》がカンペンドンクの作品ではない可能性が非常に高いという仮説のもと調査が開始された、という経緯がありました。国際機関においても、ベルトラッキが手掛けた贋作の調査では、サンプルを採取しての検証が実施されています。その背景を踏まえ、高知県立美術館から「微量であれば」という条件付きでサンプル採取の許可をいただきました。

1mmにも満たない微量のサンプルであっても、その中に詰まっている情報は非常に大きい、ということを、改めて実感しました。美術作品調査における科学技術の活用は、特定の作品の真贋判定にとどまらず、より広いまなざしで作品を捉えること、そして美術史、歴史、文化史の新たな理解の獲得へとつながっていると考えています。今回の調査は、まさにその可能性を示す貴重な例となりました。

科学が紐解く美術の真贋―目視鑑定を補完する新たな視点

微量なサンプルから得られた分析データをもとに、次の検証箇所を探りながら絵画の真贋に迫る

美術作品の真贋判定において、従来の目視による観察は欠かせない手法です。画家の技法、描画の特徴や時代の様式を、美術史の豊富な知識のデータベースと照らし合わせながら直感的に見抜くことは、真作と贋作を見分ける上で重要な役割を果たしてきました。ただし、画家の作品数そのものが少ない場合や、研究の蓄積が乏しい場合には、目視に依拠した鑑定だけでは限界があることも事実です。

そこで活躍するのが、科学的なアプローチです。科学分析調査では、絵具の化学構造や材料の特定など、物質レベルでの解析を行います。これによって、従来の鑑定では見落とされがちな物質的な証拠を浮かび上がらせ、新たな視点を加えることができます。美術史や技法に関する理解を深める手助けとして、科学の力は非常に有効だと感じています。

贋作にも研究価値を見出す―美術史への新たな貢献

贋作であっても、その作品が愛されてきた事実や歴史は、なかったことにはなりません。もちろん、贋作を生み出す行為は、その作品の本来の作者の尊厳を冒涜し、人々を欺く行為であるため、罪であることは間違いありません。ただ、その一方で、その作品がどう人々を魅了してきたのかを探ることは、美術史における重要な視点を開く可能性を持っていると思います。

科学調査を通じて浮かび上がる技法や材料の使い方は、作品の背景や作成者の意図を明らかにする鍵となります。例えば、絵具を科学的に解析することで、同時代の絵具との違いやその顔料の歴史が見えてきます。こうした成果は、その時代特有の表現方法や技法の変遷、あるいは他の画家の制作技法を読み解くきっかけにもなります。

贋作を単なる「偽り」として葬り去るのではなく、そこから新しい学びを得ることが重要です。科学分析調査を通じて明らかになる事実は、贋作を美術史だけでなく、哲学、材料学、法学など幅広い分野における思考の出発点とすることを可能にしてくれるのではないでしょうか。

科学の目で美術に挑む―闇に葬らない―贋作から学ぶ美術史への貢献

今回の調査で特に難しかった点は、カンペンドンクの技法だけでなく、ベルトラッキの描画の特徴、贋作制作プロセスも考慮しながら両面からアプローチしなくてはならなかったことです。それぞれの技法や特徴を理解し、それをどう科学的に検証していくかを模索するのは非常に挑戦的なプロセスでした。

科学分析は、絵画を「モノ」として捉え、その構造や材料を解き明かす力を持っています。今回の調査では、科学の目が最終的に重要な手がかりを与えてくれたことが印象深いと感じています。

真贋の問題は、美術史や文化史においては、古代から繰り返されてきた根深いテーマです。単に「不幸な出来事」として片付けるのではなく、美術史そして贋作の変遷史の一角をなす事例として、何が起きたのか、背景や詳細を検証することに意義があると考えています。良いか悪いかの二元論にただ押し込めるのではなく、その背景にある複雑な事象を読み解くことが大切なのではないでしょうか。

美術館で発見する科学のおもしろさ

調査に携わる機会をいただいた立場としては、こうした科学調査の成果を皆さんに公開することが重要だと感じています。9月と10月に高知県立美術館で開催される展示は、こうした科学調査の内容を皆さんにお届けする貴重な機会になると思います。

なお、この展覧会では《少女と白鳥》だけではなく、カンペンドンクと同時代に活躍した画家たちの作品も展示されます。科学と美術が交差する場面で生まれる学びや発見。それを体験することは、作品を鑑賞する新たな視点を得ることにつながります。作品のモノとしての構造、絵画の表現技法をさまざまな分析をもって解き明かす面白さを、この展示を通じて体験していただけたら嬉しいです。

 

 

(インタビュー実施日:2025年8月)
掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。

一つひとつの数値が、作品の真実を解き明かす手がかりとなる

関連サイト

再考《少女と白鳥》|イベント|高知県立美術館
  ※特別展示・調査報告ー贋作を持つ美術館で贋作について考えるー会期|第1期:2025年9月13日~9月25日、第2期:2025年10月4日~10月19日

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