医薬品の研究開発を強力にアシストするラマン分光法の応用技術

|   技術論文

深水 啓朗
明治薬科大学 分子製剤学研究室 教授
博士(薬学) 薬剤師

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Abstract
ラマン分光法は,赤外吸収(IR)と相補的な振動分光法として古くから知られている.医薬品を分析対象とする場合に両分光法を区別する要素の1つは水に対する感度といえる.すなわち水のラマン散乱は非常に弱いので,製造および保管(流通)の過程,さらには投与後の生体内において,水分と共存するケースが多くある医薬品の分析に関しては,水分の妨害を受けにくいという意味でラマンが有利である.本稿では,新薬の開発において直面する課題を解決した例として,(i)噴霧乾燥法で製造した粉末ワクチン製剤について,用いられている添加剤(ショ糖とセルロース誘導体)の分布を可視化した顕微ラマンイメージング,(ii)外用クリーム剤の処方設計において,有効成分である原薬とその溶解剤に用いた添加剤の分布および乳剤の型を明らかにした共焦点ラマン3Dイメージング,ならびに(iii)透過型ラマン測定により軟膏剤に低濃度で含まれる有効成分の定量分析について紹介する.

 

はじめに

本邦における医薬品の品質管理を規定する日本薬局方の第17改正 第2追補(2019年6月公示)において,ラマン測定法が一般試験法に収載された.ラマン散乱は,赤外吸収(IR)と相補的な振動分光法として古くから知られていたが,既に広く普及しているIR測定法とは対照的に,発展したのは比較的最近のことである.いずれの分析法も医薬品原料の定性分析に簡便かつ有用な方法である.医薬品の測定例として,中枢刺激作用のあるカフェインのIRおよびラマンスペクトルをFig.1に示す[1].いずれもカフェインの化学構造(官能基)に由来する特徴的なスペクトルが観察されているが,同様の波数に相補的なピークが出現していることが分かる.


Figure 1 Comparison of IR and Raman spectra derived from caffeine anhydrate1).

医薬品を分析対象とする場合に両分光法を差別化する要素の1つは,水に対する感度といえる.すなわち水のラマン散乱は非常に弱いので,水が共存することの多い医薬品の分析に関してはラマンが有利である.また,散乱光を検出する測定原理から,試料の状態を選ばずに測定できること,言い換えれば試料を前処理する必要がないことに起因して,多くのケースで非接触かつ非破壊分析が可能という大きな利点を有している.医薬品を対象とする分析法として,ラマン分光法の近年の発展と普及には目覚ましいものがある.

医薬品の品質管理が問われる局面としては,医薬品原薬の製造工程,製剤化の工程,市場に流通して保管される過程などがあげられる.それらは一重に,水分に富んだ生体内で一定の薬効を発現させることが目的といえることから,水分による妨害を受けにくいラマン分光法の特徴を活かして,多彩な測定モードが利用されている.具体的には顕微およびマッピング測定,透過測定,プローブ型検出器を用いた反応過程モニタリングなどである.本稿ではHoriba社の顕微レーザーラマン分光測定装置 LabRAM HR Evolutionを用いた(i)粉末ワクチン製剤に用いられる添加剤のイメージング[2]および(ii)外用クリーム剤を構成する成分の共焦点3Dイメージング[3],ならびに透過ラマン分光装置 TRS-HE830を用いた(iii)軟膏剤に含まれる有効成分の定量分析[4]について紹介する.

 

粉末ワクチン製剤のイメージング測定[2]

一般的なワクチン製剤は注射剤として投与されるが,抗原を経鼻で吸入することによって,鼻腔粘膜面での粘膜免疫応答を惹起し,ウイルスの体内への侵入を阻止できることが知られている.また,この機構は変異ウイルス感染に対する交叉防御機構が高いとされており,流行したウイルス株とワクチンに使用されたウイルス株が一致しなかった場合も,感染防御効果が期待される。経鼻投与の粉末ワクチン製剤は,患者に対する侵襲性および心理的な負担の軽減,ならびに粉末化による安定性の向上など,様々な利点を有する新規の剤形である.

本製剤の設計において技術的に特筆すべき点は,医薬品の添加剤として汎用されるヒドロキシプロピルセルロース(HPC)を配合することにより,製剤の吸湿を著明に抑制できたことである.インフルエンザウイルスの抗原を添加剤とともに噴霧乾燥法で製造する際,乾燥工程ならびに保存期間中における抗原の保護作用(安定化)を企図してスクロースが添加されている.しかしながら,噴霧乾燥により微粒子化,かつアモルファス化したスクロースは吸湿性が非常に高く,通常の室内環境下では直ちに吸湿して潮解する様子が認められた.

噴霧乾燥処理で得られた粉体の粒子形状と各成分の分布を特定するために,我々は第一三共株式会社の三枝らとともに,粉体試料の顕微ラマンイメージングを試みた(Fig. 2).スクロースとHPCを単純に混合しただけの粉末試料は大気中で直ちに吸湿し,スクロースが潮解したため,ラマンイメージにおいては,赤色で表示した濃厚なスクロース水溶液の上に,青色で表示したHPCの粒子が浮いているような像として観察された(Fig. 2a).一方,スクロースをHPCとともに噴霧乾燥した試料では,両成分が近密に混在し,球状の粒子形状が保持されている様子が観察された(Fig. 2b).スクロースおよびHPCのいずれも,顕微鏡観察による粒子の外観は同様で見分けがつかないため,ラマンイメージングを組み合わせることで製剤の構造を可視化することができた.


Figure 2 Superposition of Raman mapping of HPC-L (blue)
and sucrose (red); (a) powder mixture of spray-dried HPC-
L/spray-dried sucrose, (b) co-spray-dried HPC-L/sucrose powder2).

 

クリーム剤の共焦点ラマンイメージング[3]

軟膏剤やクリーム剤に代表される,皮膚に適用する外用製剤は,患者さん個々の塗り心地という,数値化あるいは標準化しづらい指標が求められる製剤である.その中でもクリーム剤は,使用感に優れた剤形として,アトピー性皮膚炎などの皮膚疾患に汎用されているが,複数の水性および油性成分からなるエマルションであり,熱力学的には不安定である.そのため,成分組成の検討が不十分である場合,保存中に水相と油相の分離が認められることがある.

製剤を設計する際の評価方法としては,基本的に外観観察やレオロジー特性ならびに安定性試験であり,経験に基づく試行錯誤が標準的といえる.マルホ株式会社の小澤と我々の研究グループは,難水溶性のフルコナゾール(FLC)を有効成分とするクリーム剤について製剤設計を行うとともに,顕微モードの全反射減衰型(ATR)-IR法を用いた成分分布の解析ならびに乳化型の判別について検討した.また,高解像度が期待できる共焦点ラマン分光法により,製剤中における有効成分や添加剤の分布を可視化することについて試みた.

まず,外用剤に汎用されている有効成分の中では難水溶性であるFLCの良溶媒としてベンジルアルコール(BA)を見出し, 流動パラフィン(MO)以外の油性添加剤とも良好な相溶性を示した.BAを有効成分の溶剤として様々な製剤処方を調製した結果,MOおよびミリスチン酸イソプロピル(IPM),あるいはセバシン酸ジエチル(DES)を配合することで,良好な乳化状態を保持できるクリーム剤を調製できた(Table 1).

Table 1 調製したクリーム剤の製剤処方(w/w%)3)

これらのクリーム剤について,顕微ATR-IR法を用いてイメージング測定を行った結果,油性成分がMOおよびIPMであるクリーム剤01において,IPMに特徴的な吸収ピークからなるドメインが乳化状態でいう内相側に認められた.その一方,溶解剤であるBAに特徴的な吸収ピークを選択したイメージングのドメインは外相側に認められたことから,当該クリーム剤の内部構造が水中油型であることを視覚的に証明できた.油性成分がDESであるクリーム剤02については,その特徴的な吸収ピークおよびBAに由来する吸収ピークを用いて,両成分の製剤中における分布が一致している,つまり製剤中で共存しているという知見を得ることができた.また,先述したクリーム剤01と同様に水中油型と判別できたことから,本手法の汎用性を実証することができた.

次に,有効成分のような配合量の少ない測定対象物の分布を評価するために,共焦点ラマン顕微分光法によるイメージングについて試みた.検出感度を考慮して,FLCを2%含有するクリーム剤03を調製し,X,YおよびZ軸方向にマッピング測定を行ったところ,水分(青),BA(緑)およびFLC(赤)各成分の分布を3Dで可視化することができた(Fig. 3).より詳細には,FLCとBAの標準スペクトルから差分スペクトルを算出して解析することにより,FLCの分布を浮き上がらせることに成功した.このようにして,水が外相に,BAに溶解した薬物FLCが内相に分布していることが明らかとなった(Fig. 3d).

以上の結果より,クリーム剤は多量の水を含むため,(i)ラマンスペクトルはIRと比較して水分の妨害を受けにくい,(ii)試料を圧縮することなく,そのままの状態で測定できるという理由から,共焦点ラマン分光法が水中油型クリーム剤の成分分布を評価するのに適しているという結論に達した.


Figure 3 Confocal Raman imaging distribution of components
in creams 03; (a) water, (b) BA, (c) FLC and (d) overlay image of (a) to (c) 3).

 

透過型ラマン測定による製剤中薬物の定量[4]

近年,ラマン分光法の透過測定(前方散乱などとも呼称される)も医薬品業界において普及が進んでいる.透過モードの測定では,試料にレーザーを照射し,透過したラマン散乱光を検出するため,試料の表面および全体からの平均的なスペクトルが得られる.その特徴ゆえに,汎用される反射モードの測定(後方散乱とも呼ばれる)と比較して,定量予測に優れることが期待できる.透過ラマン分光法(TRS)は,これまで錠剤中に含まれる原薬の定量法,あるいは製造プロセスにおいて原薬や添加剤を定量的に評価するツールとして利用されてきた.TRSは標準的な定量法である液体クロマトグラフィーと比較して,試料を前処理(溶解や希釈)することなく,固体のままで測定できることから,原薬の化学的な含量だけでなく,結晶多形や塩・共結晶など結晶形の存在比率も定量できることが大きな利点といえる.

上述したように,TRSはこれまで固形製剤の定量測定に威力を発揮してきたが,我々は塩野義製薬株式会社の大橋とともに,半固形製剤(軟膏剤)に含まれる原薬の定量を試みた.抗ウイルス剤であるアシクロビルを含む軟膏剤を調製し,ガラス製のカップに充填して透過測定したラマンスペクトルをFig. 4に示す.測定したままの原スペクトルでは,特に78や174 cm-1付近に,アシクロビルに特徴的なピークが認められた(Fig. 4a).これらのスペクトルについて,散乱補正や1次微分(Savitzky-Golay法)で前処理したところ,1348や1570 cm-1付近などの高波数側にもアシクロビルに由来するピークが認められたことから,低濃度(3w/w%)の軟膏剤についても定量予測が可能であると考えられた(Fig. 4b) .また,我々が調製した試料と市販製剤のスペクトル間に有意な差は認められなかった.


Figure 4 Raman spectra of acyclovir, white petrolatum,
calibration sample and commercial product. (a) Raw Raman
spectra, (b) Pre-processed Raman spectra.

TRSによる定量法の精度を向上させるには,ラマン測定の質もさることながら,スペクトルの前処理を含む解析過程が極めて重要となる.本研究では決定係数(R2)や二乗平均平方根誤差(RMSE)のシリーズを指標として,スペクトルの部分的最小二乗(PLS)回帰による定量の解析方法や条件を最適化した.その結果,上述したスペクトルの前処理に加えて,全測定領域である57~1670 cm-1の範囲で解析を行うことにより,最もよい結果(定量予測の誤差RMSEP=4.172%)が得られた.

市販製剤の薬物含量(3w/w%)を100%として,表示量70~130%の範囲でキャリブレーション用に7水準の濃度,バリデーション用に3水準の濃度+市販製剤(いずれもn=5)を加えて,UVの吸光度測定と透過ラマン測定で得られた定量値のプロットをFig. 5に示す.低濃度側で多少のバラツキが認められるものの,予測誤差(RMSEP)は米国の規制当局から提言されている真度の基準(回収率±5.0%以内)を満たす値を示した.


Figure 5 Prediction plot for acyclovir assay by transmission
Raman spectroscopy 4).

 

おわりに

ラマン分光法は多彩な測定モードを特長として,今後ますます発展が期待される振動分光法である.紙面の制限から本稿では詳述できなかったが,結晶の格子振動を反映する低波数領域(150 cm-1以下)のスペクトルは結晶形の識別性に優れることから,更なる可能性を秘めている.既にいくつかの応用例が報告されているが,固形製剤(錠剤)中における原薬の結晶多形を識別する,あるいは非晶質のミクロな結晶化を検出するなどの応用が大いに期待される.また,プローブ型の検出器を用いたin situのモニタリング測定も魅力的な測定オプションであり,製造工程のプロセス解析は当然のこととして,各種の反応モニタリングやバイオ医薬品への応用が考えられる.本稿で紹介したのは比較的シンプルな応用例に過ぎないが,読者がラマン分光法の実用性や可能性を理解する一助になれば幸いである.

 

参考文献

1) 久田浩史,佐久間発, 深水啓朗他, 日本薬局方の医薬品各条における確認試験を志向したラマン分光法の実用性, 製剤機械技術学会誌, 27, 5-12 (2018).

2) Mieda S., Inoue K., Ito A., Yada S., Miyajima M., Fukami T., Evaluation of the usefulness of hydroxypropyl cellulose and sucrose in the nasal influenza vaccine, J. Drug Deliv. Sci. Technol., 69, 103-165 (2022). https://doi.org/10.1016/j.jddst.2022.103165

3) Ozawa Y., Watanabe Y., Ando D., Koide T., Fukami T., Advanced Formulation Design for Topical Creams Assisted with Vibrational Spectroscopic Imaging, Chem. Pharm. Bull., 69, 271-277 (2021). https://doi.org/10.1248/cpb.c20-00979

4) Ohashi R., Fujii A., Fukui K., Koide T., Fukami T., Non-destructive quantitative analysis of pharmaceutical ointment by transmission Raman spectroscopy, Eur. J. Pharm. Sci., 169, 106095 (2022). https://doi.org/10.1016/j.ejps.2021.106095

 


【透過ラマン】 Transmission Raman

■特長
✔錠剤・顆粒・軟膏剤の非破壊分析
✔消耗品や溶媒が不要
✔数秒~10秒/試料で測定可能  (成分および濃度に依存)

 

【顕微レーザラマン分光測定装置】 LabRAM HR Evolution

■特長
✔サブミクロンスケールの空間分解能
✔高い共焦点性による二次元・三次元ラマンイメージング
✔自由度の高いプラットフォーム (温調機能、透過ラマン、PL測定など)

 

● 問い合わせ先: 株式会社 堀場製作所 バイオ・ライフサイエンスプロジェクト 廣瀬 (yutaro.hirose(at)horiba.com)


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