水素が金属をもろくする?! 水素脆性のメカニズム解明で、カーボンニュートラルに貢献

広島工業大学 工学部 機械システム工学科 日野 実(ひの まこと)教授

 

2015年に採択されたパリ協定を契機に「2050年のカーボンニュートラル実現」をめざす動きが国際的に広まっています。2020年には日本も「2050年カーボンニュートラル宣言」を表明※1)、その実現に向け、ゼロカーボン・ドライブ(再生エネルギー X 電気自動車(EV)/プラグインハイブリッド車(PHEV)/燃料電池車(FCV))の普及や、カーボンニュートラル燃料(二酸化炭素と水素の合成燃料)といった水素の利活用を支える材料研究や材料加工技術の開発が進められています。
カーボンニュートラル社会の実現に貢献する自動車の軽量化材料の高機能化や、水素社会に欠かせない水素脆性(ぜいせい)のメカニズム、そしてそれを防ぐ表面処理についてご研究されている広島工業大学 工学部 機械システム工学科 日野 実 教授にお話を伺いました。

 

 

Episode 1:水素脆性のメカニズム解明への挑戦

低炭素社会、カーボンニュートラルを実現するためのアプローチの一つとして自動車材料軽量化のニーズがあり、軽量化材料として代表的なアルミニウムやマグネシウムといった金属材料の高機能化に取り組んでいます。

また別のアプローチとして、水素を二次エネルギーに使おうという世の中の流れがあります。水素の貯蔵や運搬に欠かせないタンクには金属材料が使われているため、水素を活用しようとすると金属材料と水素が接する機会が増えることになります。その際、わずかな水素が金属材料をもろくする“水素脆性”という現象が課題になります。鉄鋼材料の場合、1,500メガパスカルを超えるような高強度なものは、0.01ppm(1億分の1の量)、つまり鉄原子が1億個あるなかに水素が1個入ると脆化して壊れます。

こうした水素脆性はかなり古くから知られている現象ですが、脆化のメカニズムはまだ解明されていません。その理由の一つに水素が一番小さい元素であることがあげられます。鉄や他の金属は原子サイズが大きく、その間を水素が自由に動けることから、水素を検出する方法自体が難しいのです。また、電子顕微鏡で原子サイズの格子像をみても大きな元素は捉えることができますが、水素原子自体を捉えることはできません。
安心・安全かつ強度のある材料開発のため、水素をいかに鋼材に取りこまないようにするか、また取り込んだ水素をどうやって鋼材から取り出すかという表面処理の研究にも取り組んでいます。「水素脆性が起こらないめっきを探す」というのが私の目標です。

 

Episode 2:アルミニウム合金における水素脆性の可能性を発見

アルミニウムは比重が2.7g/cm3ということで鉄よりも軽いことがメリットになります。自動車の軽量化材料としてすでにアルミニウム合金は多くの部品・材料に適用されており、高い強度が求められる飛行機には日本で開発され、零戦にも使われた7000系の超々ジュラルミン(アルミニウム合金の一種)が使用されています。また、燃料電池車の水素タンクには高圧水素容器用の6061合金というアルミニウム合金が使われています。昔からアルミニウムには強固な酸化皮膜ができるので2000・5000・6000系アルミニウム合金では水素脆性は起こらないといわれてきましたが、アルミニウムの水素脆性を研究しているなかで、めっき処理を施すとアルミニウム合金も水素が入り脆化するということがわかってきました。酸化皮膜がない部分が一旦できてしまうと腐食により酸化皮膜が破れ、そこに水素が発生して脆化するという問題が発生します。

 

 

Episode 3:マグネシウム合金の活用~マグネシウムカーボン合金の画期的な加工方法の開発~

マグネシウム合金※2)は自動車のホイールなどに使用されていますが、振動をよく吸収するのでエンジンの振動の影響を軽減するためにハンドルにも使用されています。自動車以外では、軽くて振動を嫌うもの、例えばチェーンソーやビデオカメラにもマグネシウム合金が使われています。環境意識の高い欧州ではコストよりも環境を重視して、マグネシウム合金を使った自動車が多く生産されており、さらなる軽量化と高強度化のためにマルチマテリアル(異種材料)の研究も進んでいます。マルチマテリアルは強度が必要なところに金属材料、形をつくるところにプラスチックというように、異なる二つの材料を組み合わせます。特にプラスチックにフィラーや強化繊維などを入れたものを使うとさらなる軽量化ができることから欧州の自動車メーカーではプラスチックとアルミを接着した材料が使われています。一方、日本では材料・製造コストが高いことが障壁となり、軽量化材料の割合がそこまで高くはありません。

私もマグネシウム合金の利活用について研究をしています。私が研究に携わったパナソニック株式会社のパソコン部材に採用されているマグネシウムカーボン合金は軽量化を実現した画期的な材料です。マグネシウム自体はカーボンを入れると強度が上がることは昔からわかっていました。ただマグネシウムとカーボンは仲が悪く、なかなか混ぜ合わせることが困難でした。金属同士を合金にする際、高温にして溶かすと容易に混ざりますが、マグネシウムを溶かしたところにカーボンを入れても、比重の関係でカーボンが浮いてしまい、混ざりません。混ぜるためにマグネシウムをさらに高温にすると金属中に水素が混入して空孔ができやすくなり、材料の特性が落ちてしまうので、マグネシウムカーボン合金はこれまでなかなか作れませんでした。しかし日本マテリアル株式会社と共同研究において、チクソモールド成形した成形品に急速冷却を施すことで、マグネシウム合金を薄板に加工することに成功し、マグネシウム合金を利用した強度が高く軽い製品を実現することができました。量産性や機械的特性に優れたマルチマテリアルに応用できる金属として、実用金属のなかで最も軽量かつ資源量が豊富なマグネシウム合金は注目を集めており、こうした加工技術が役立つ日が来ると信じています。

 

Episode 4:HORIBAのマーカス型高周波グロー放電発光表面分析装置(GDS) との出会い

Ni-P(ニッケル-リン)めっきを施したアルミニウム合金試験片のGD-OESによる元素デプスプロファイリング

表面技術協会などでご一緒していた慶應義塾大学の清水先生からHORIBAのGD-OES:GD-Profiler2を知りました。清水先生がTEM(※3)と対比しながら示されたGD-Profiler2のデータは非常にインパクトがあるものでした。その後、当時のHORIBAの営業担当であった中村龍人さんにお願いし、リン酸塩陽極酸化処理したマグネシウムのデプスプロファイリング(深さ方向元素分析)を依頼しました。従来、デプスプロファイリングは、局所的に断面をみたり、EPMA(※4)でマッピングをしたりしていましたが、作業に大変な手間がかかりました。他の方法としてXPS(※5)やオージェ(※6)がありましたが、GD-Profiler2はものすごく速く深さ方向に測定でき、かつ検出感度が良かったことが印象的でした。
また一般的には軽元素が不得手な分析装置が多いなか、どの軽元素でも簡単に測定できる点が他の表面分析法であるEDX(※7)、EPMA、WDX(※8)よりも優れた点でした。当時、他のGDSメーカーからもアプローチがありましたが、それまでにHORIBAに分析依頼したサンプルの測定結果が信頼できるものだったのでHORIBAの装置を選びました。実際装置を使ってみて、改めてすばやくデプスプロファイリングを得ることができたことに驚きました。

マーカス型高周波グロー放電発光表面分析装置(GDS) GD-Profiler2

また変色したサンプルの原因調査にもGD-Profiler2は力を発揮しました。GD-Profiler2では表面にどのような元素が拡散しているかを非常に高感度で簡単に観察ができました。その他にもスズのウィスカ問題(※9)にも有効な分析手法でした。めっき皮膜は溶かして固めた金属よりも原子が抜けた空孔が非常に多く、表面にバルク(※10)の金属が容易に出てきてしまうことがあります。スズめっきをした際にウィスカが発生する原因も、バルク中のPb(鉛)が表面に出てきていることがGD-Profiler2を用いることで判明し、また、Pbによるウィスカの抑制効果も明らかになりました。

サンプルに含まれる低濃度の金属元素のデプスプロファイリングを取ることができるのはGD-Profiler2だけだと思っています。アルミニウム合金上のめっきについても同様の現象をGD-Profiler2で捉えたことがあります。昨今配電盤で使用するバスバー(※11)にはアルミニウム合金が使われ、その表面のめっきの品質チェックで熱衝撃を与える工程がありますが、高温の熱を与えた後に変色することがありました。その部分をGD-Profiler2で測定すると、アルミニウムやめっき前処理で使用した亜鉛が表面に拡散することを確認していました。変色の原因はEPMAやXPSではわからなかったことなので、GD-Profiler2の感度がとても優れていることに間違いはありません。

⇒ 製品「マーカス型高周波グロー放電発光表面分析装置(GDS) GD-Profiler2」サイトへのリンク

Episode5:表面処理の研究からカーボンニュートラル社会を支える

カーボンニュートラル達成のために、アルミニウム、マグネシウムなどの軽量材料を安全・安心に使えるよう、またこれらの軽金属と樹脂を接合したマルチマテリアル材料の軽量化により、自動車(FCV車など)の軽量化とコスト低減につなげることを目標に研究をしています。

最終的には水素環境でも水素脆性が起きず、耐食性を持つような表面処理を開発することが求められます。水素高圧タンクはアルミニウム合金で作られていますが、万が一にも水素脆性で壊れないようにCFRP(※12)でタンクの周りを補強しています。ただそれが非常に高価なのでFCV車の価格が高くなっています。本来強度的にはアルミニウムだけでも問題がないので、脆化を起こさないアルミタンクを作ればタンク自体が安くなり、もっとFCV車が普及していくと考えています。

今後、水素の利活用が増えると、水素がアルミニウムに触れる機会も増え、水素脆性により強度が落ちて大変な事故が起こる可能性も高まります。想定される事故を未然に防ぐことに貢献するとともに、新しいマルチマテリアル開発のためにも、さまざまな角度から表面処理の研究をさらに深めていきたいです。

 

 

(インタビュー実施:2022年1月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。

Profile
日野 実(ひの まこと)
広島工業大学 工学部 機械システム工学科 教授

(経歴)
1996年10月 大阪府立大学工学部 博士(工学)
1986年3月 大阪府立大学工学部金属工学科卒業後、1986年4月 川崎重工業株式会社に入社、1989年3月 同社を退職し、1989年4月 岡山県工業技術センターに入庁。 2013年3月に同センター退庁し、2013年4月より広島工業大学工学部機械システム工学科 教授として勤務、現在に至る

(専門分野) 
材料工学、表面工学、レーザ応用

(受賞歴)
(社)表面技術協会平成6年度進歩賞、(社)日本金属学会第27回技術開発賞、第1回ものづくり日本大賞優秀賞、(社)日本金属学会第28回技術開発賞、(社)軽金属学会第6回躍進賞、日本マグネシウム協会賞技術賞、(社)表面技術協会平成22年度論文賞、(社)日本熱処理技術協会技術賞(粉生記念賞)、(公社)日本金属学会38回技術開発賞、(公社)日本金属学会39回技術開発賞、(一社)軽金属学会第15回功績賞、2020年度溶接学会ベストオーサー賞

 

注釈
※1) 環境省HP参照:https://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/about/
※2) マグネシウム合金:比重は鉄の約1/4、アルミニウムの約2/3。「割れやすく加工が難しい」「腐食しやすい」「燃えやすい」といった欠点を克服し、最近では軽量性を活かした構造材向けとして注目を集めています
※3) TEM:透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope)
※4) EPMA:電子プローブマイクロアナライザー(Electron Probe Micro Analyzer)
※5) XPS:X線光電子分光法(X-ray Photoelectron Spectroscopy)
※6) オージェ電子分光法(Auger Electron Spectroscopy)
※7) EDX:エネルギー分散型X線分析(Energy Dispersive X-ray Spectroscopy)
※8) WDX:波長分散型X線分析(Wavelength Dispersive X-ray Spectroscopy)
※9) 金属表面から金属単結晶が自然成長し、電気的絶縁性を破壊するなどの問題を起こすこと
※10) バルク:三次元的に結合している原子の塊
※11) バスパー:主に配電盤や制御盤に電源を各部分に接続する導体棒のこと
※12) CFRP:炭素繊維強化プラスチック(Carbon Fiber Reinforced Plastics)


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