HORIBA:工場でレタスを栽培するという現在のスタイルは、どのように生まれたのでしょうか。まずは「大泉野菜工房」立ち上げの経緯について教えてください。
宮下さん:昭和39年から、大手電機メーカーの下請けで、家庭用冷蔵庫やエアコンに使われるコンプレッサーなどの部品加工や機械設計・製作を手がけていました。しかし15年くらい前から、より価格の安い海外へと発注がシフトされていき、その頃から「何か新しいことを始めなければ」と危機感を募らせていました。そして私が62歳のとき、大手電機メーカーが家庭用冷蔵庫製造事業から撤退。一切取引がなくなって、この先、もう製造業は難しいと判断しました。幸い、工場という経営資源があったのでこれを利用できないかと考えました。
とにかく“日本に残るモノ”を創りたかった。そしてエンドユーザーに直接届けられるモノ…下請けから脱却したいという思いですね。それには一体、何があるだろうと考えたとき、人に必要な「衣・食・住」の中の「食」分野が現実的だと思えました。そこで、安定供給が可能で、作業環境も良い植物工場が頭に浮かびました。これまでの工場としての経験も活かせるというメリットもありました。
HORIBA:部品製造から農業とは大きな転向ですね。それまでに農業のご経験はあったのでしょうか?
宮下さん:7年くらい前に大泉町の商工会で観光協会を立ち上げ、副会長職をつとめていました。この町の特徴はブラジル人が多いこと。そこでブラジルをテーマに観光を盛り上げ、商品開発も手がけようということで、ブラジル原産のシモン芋を町の特産物として栽培することに決まりました。
苗を取り寄せて地元の高校と共同栽培を始め、収穫までを経験しました。このときに、夏の暑い時期には作業環境が厳しかったり、異常気象のため害虫がついて葉茎や芋が収穫できなかったという体験をしており、作業環境が良く、害虫の心配のない植物工場は理想だったんです。