学術資料

周術期における血糖値の異常について

東京大学附属動物医療センター

鎌田 正利先生

近年、人では周術期の血糖値の異常が予後に悪影響を与えることが明らかになってきました。手術侵襲により放出されるカテコラミン、グルカゴン、コルチゾール、成長ホルモン、サイトカインは、インスリン抵抗性、糖利用の低下、インスリン分泌の低下、蛋白異化を引き起こし、血糖値を上昇させます。手術侵襲に伴う血糖値の上昇は生理的反応である一方、過度な血糖値の上昇により免疫機能の低下や炎症反応の増幅が生じ、人では術創感染の増加、入院期間の延長、死亡率の増加の一因となることが報告されています。一方、周術期に生じる低血糖は不可逆的な神経機能の低下や心血管系異常を生じさせる可能性があり、合併症の発生率や死亡率を上昇させる要因であることも報告されています。糖尿病などにより血糖値の異常が術前から存在する場合は、周術期の血糖値の異常や合併症の発生率がさらに高まるため、周術期における血糖値のモニタリングおよび管理の重要性が増してきています。

現在、獣医療でも血糖値に異常がある犬や猫に遭遇する機会は少なくありません。高血糖をきたす原因には糖尿病、急性膵炎、副腎皮質機能亢進症、感染症などがあり、低血糖をきたす原因には敗血症、腫瘍(インスリノーマ、肝細胞癌、平滑筋肉腫など)、副腎皮質機能低下症、肝不全、門脈体循環シャントなどがあります。獣医療における周術期の血糖値異常と予後の関連について多くは知られていませんが、これらに罹患した犬や猫に麻酔や手術を行う場合は、人と同様に周術期における血糖値のモニタリングと管理は重要であると考えられます。

今回は術前から低血糖を呈した症例の周術期の血糖値管理を紹介します。低血糖を引きおこす原疾患のある犬猫では、一般状態の悪化や絶食により、麻酔前に低血糖がさらに進行する場合があります。また、国内における犬の麻酔関連死亡率を調べた結果、麻酔前に低血糖がある場合に死亡率が上昇することが報告されていますので、麻酔前に血液検査を行って低血糖(<60mg/dL)が認められる場合は血糖値を補正します。麻酔中に低血糖が進行する可能性もありますが、麻酔中は臨床症状(失神、震え、発作、運動失調、虚脱)から重度の低血糖(<30-40mg/dL)を認識することが困難であるため、麻酔中も血糖値のモニタリングを行うことが重要です。また、術後に生じる血糖値の異常を見逃さないよう術後も血糖値をモニタリングします。

インスリノーマの1例

インスリノーマは膵臓のβ細胞に生じる機能性腫瘍であり、血糖値に依らずインスリンが分泌されて低血糖が生じます。低血糖およびインスリン分泌に対する内分泌反応により、震え、発作、運動失調、虚脱などの臨床症状が生じますが、低血糖が重篤になると致命的です。腫瘍が原発巣のみあるいは局所的な転移にとどまり切除可能な場合には手術適応となり、症状の改善や予後の延長が期待できます。

術前に低血糖が認められる場合、糖あるいはグルカゴンを投与して血糖値の補正を行いますが、血糖値の上昇が腫瘍からのインスリン分泌を促進させる可能性があるため血糖値のモニタリングと管理が重要になります。手術侵襲に対する生体反応は高血糖を引き起こす可能性があるため、適切に鎮痛薬を使用して過剰な生体反応が生じることを避けることも必要です。また、インスリノーマの術後合併症として膵炎や糖尿病が生じることがあるため、術前から術後にかけて低血糖を避けることに加え、術後の高血糖にも注意が必要です。

症例はバセンジー、去勢雄、11歳8ヵ月齢、10.5kgです。当院初診の一月前にふらつきを認め近医を受診し、低血糖(38mg/dL)、インスリン高値が認められたためインスリノーマと仮診断され、少量頻回の食事と糖液の投与により一般状態を維持していました。初診時の血液検査では血糖値は正常であり、CT検査にて膵臓右葉尾側に腫瘤(15×10×10mm)、肝臓外側左葉の腫瘤(5mm大×2)、肝門リンパ節腫大(12×10×6mm、15×9×7mm)が認められました(図1)。肝臓への転移が疑われるため、根治は難しい可能性が高いものの臨床症状およびQOLの改善を目的とした手術が予定されました。

図1-1
図1-2
図1-3
図1.CT検査にて膵臓腫瘤(図1-1)、肝門リンパ節腫大(図1-2、1-3)を認めた

手術当日に来院しましたが、血液検査を行ったところ血糖値が28mg/dLであったため5%ブドウ糖加維持液(3mL/kg/hr)とグルカゴン(0.3μg/kg/hr)を投与し、2時間後に血糖値が78mg/dLに上昇した時点で麻酔導入を開始しました。麻酔中は5%ブドウ糖加維持液とグルカゴンの持続投与を継続し、1%ブドウ糖加酢酸リンゲル液も併用してイソフルラン、フェンタニル、ケタミンにより麻酔を維持しました。手術は膵臓右葉尾側の腫瘤、腫大した肝門リンパ節2個を摘出し、肉眼的に確認された肝臓内側左葉の結節性病変の生検を行いました。麻酔中の血糖値は安定しており、抜管後も血糖値のモニタリングを継続しましたが、血糖値の上昇にしたがって輸液剤やグルカゴンの用量を調節しました。抜管から2時間後にグルカゴンの投与を終了しましたが、血糖値は安定しており経過も順調なため術後3日目に退院しました(図2)。

図2.周術期の血糖値とグルカゴン値およびブドウ糖投与量の推移

肝細胞癌の1例

膵外に発生する腫瘍でも、インスリンあるいはインスリン類似物質の産生、糖利用の亢進、原発あるいは転移巣による肝臓における糖代謝障害により低血糖をきたすことがあります。

症例はミニチュア・ダックスフント、避妊雌、12歳11ヵ月齢、5.2kgです。当院初診の20日前に痙攣、失禁、意識の低下が5分ほど持続し、近医を受診しています。院内の検査にて低血糖(41mg/dL)、インスリンの低値、肝臓腫瘤を認め、ACTH刺激試験の結果から副腎皮質機能低下症は除外され、頻回の食事と糖液の投与により一般状態を維持していました。初診時の血液検査では低血糖(36mg/dL)および肝臓内側左葉に腫瘤を認め、糖液を経口投与してからCT検査を行いました。CT検査では肝臓の内側左葉(長径90mm)、外側左葉、尾状葉に多発性の腫瘤を認め、脾臓にも腫瘤(長径15mm)を認めました(図3)。肝臓原発の腫瘍および腫瘍に随伴する低血糖と診断し、根治は不可能であるものの臨床症状およびQOLの改善を目的とした手術が予定されました。

図3-1
図3-2
図3-3
図3.CT検査にて多発性の肝臓腫瘤(図3-1、3-2)、脾臓腫瘤(図3-3)を認めた

手術前日から入院しましたが、来院時に低血糖(45mg/dL)を認めたため、7.5%ブドウ糖加維持液(2mL/kg/hr)の静脈内投与と糖の経口投与を行いました。麻酔前の血液検査で再び低血糖(47mg/dL)を認め、糖液を経口投与してから麻酔導入を開始しました。麻酔中は2%ブドウ糖加酢酸リンゲル液も併用してイソフルラン、フェンタニル、ケタミンにより麻酔を維持しました。手術は肝臓の外側左葉、内側左葉、尾状葉、脾臓の摘出を行いました。麻酔中の血糖値は安定しており、抜管後も血糖値のモニタリングを持続しましたが、血糖値が上昇したため糖の投与量を漸減しました。術後24時間の時点で血糖値がさらに上昇し、術後48時間の時点では高血糖に加えて尿糖を認めたため術後糖尿病としてインスリン治療を開始しました(図4)。インスリン投与後は血糖値が200~300mg/dL程度に落ち着いたため、術後7日目に退院しました。

図4.周術期の血糖値とブドウ糖投与量の推移

まとめ

術前から低血糖が生じている犬や猫では術前から術中にかけて低血糖が進行する危険性がある一方、術中から術後にかけて手術侵襲が引き金となり血糖値を上昇させる生体反応が生じます。術前から血糖値の異常がある症例では、周術期の血糖値の変動が複雑になることが多いため血糖値のモニタリングを行うことが重要です。今回の2症例では周術期の血糖値モニタリングと管理により、大きな問題が生じずに安定した周術期の経過が得られたと考えます。

鎌田先生からの麻酔管理のアドバイス

麻酔導入では使用する薬剤により、生体機能に様々な変化が生じます。特に血圧低下などの循環抑制や呼吸抑制が起きやすいため、心電図、心拍数、血圧、呼吸数、パルスオキシメーターをモニタリングし、その変動に注意して安全に麻酔導入を行う必要があります。手術が始まると手術侵襲が体に加わるため麻酔管理はさらに複雑になりますが、手術侵襲に対する過剰な生体反応を抑制するために麻薬性オピオイド、硬膜外麻酔、末梢神経ブロックも積極的に使用することが重要です。また、前述したバイタルサインのモニタリングに加えて体温管理にも注意が必要となります。麻酔覚醒時は手術侵襲や残存する麻酔薬の影響により、循環機能や呼吸機能が不安定になりやすいため、安全のために麻酔終了後もモニタリングを継続することが重要です。

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※2020年7月現在の内容です。

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