宮沢賢治の詩「S博士に」の直筆草稿を発見

真贋判断のための科学分析に協力

岩手県花巻市出身の詩人で童話作家である宮沢賢治(以下、賢治)が昭和初期に書いたとされる詩「S博士に」の草稿が発見され、花巻市は本草稿が賢治による直筆草稿であると判断し、3月29日に発表しました。HORIBAグループは本草稿の科学分析に協力しました。
今回は、本草稿の発見や直筆草稿の判明に至るまでの裏側について、岩手県花巻市博物館の小原学芸員と賢治の実弟宮沢清六氏の孫でもある宮沢賢治記念館の宮澤学芸員、絵画の修復や保全を担う株式会社 大塚巧藝社の蕨迫様にお話を伺いました。


花巻市博物館 小原学芸員


宮沢賢治記念館 宮澤学芸員


株式会社 大塚巧芸社 蕨迫様
 

HORIBA Talk:「S博士に」の草稿が発見された経緯を教えてください。

小原学芸員:草稿は、2020年6月に総合花巻病院から花巻市に寄贈された、佐藤隆房氏(故人)のコレクション約4000点の中から見つかりました。S博士のモデルともいわれる佐藤氏は総合花巻病院の前身である花巻共立病院の初代院長で、賢治の主治医でした。賢治の草稿や何か残すべきものが見つかるのではという思いで、博物館の職員全員で手分けして探しました。そうして見つかったのが、「S博士に」です。いざ草稿を確認すると、宮沢賢治記念館にある草稿の画像データとは異なる点がいくつかあり、執筆特徴から直筆の可能性がでてきました。驚くとともに真実を明らかにしなければという使命感にかられました。
HORIBA Talk:「S博士に」はどのような詩なのですか。
宮澤学芸員:「S博士に」は、賢治が昭和初期に病床で書いたとされる疾中詩群の一つです。もともと賢治が生きている間に出版したものは少なく、そのため草稿状態のものが大半です。執筆の特徴として加筆、修正が多いことがあげられ、疾中詩群に含まれる「S博士に」も同様です。重い病気の中でも加筆、修正を繰り返しているさまからは、賢治の書くことへのこだわり、執念が感じられます。また、主治医であった佐藤医師への安心感や信頼感によって、このように執筆を続けられたのではとも考えられます。
HORIBA Talk:直筆と判明した経緯を教えてください。
小原学芸員:花巻市に寄贈された草稿は、赤字の上に黒字の修正が入っています。従来宮沢賢治記念館で所蔵している草稿の画像データと比較すると、赤字と黒字が反転しており、花巻市に寄贈された草稿には「賢治」の署名がありませんでした。絵画の補修や保全を担う大塚巧藝社さんに相談し、HORIBAさんにも協力してもらいながら科学分析を実施することにしました。
宮澤学芸員:「S博士に」と同じ疾中詩群に含まれ、「S博士に」と同様に赤字の上に黒字で加筆している「ひるすぎの三時となれば」を比較対象としました。非破壊・非接触で元素分析を実施いただき、使用されたインクや紙などの種類を示す指標の一つとしました。
また、これまで所蔵していた草稿データには賢治の署名がありましたが、疾中詩群の他の28篇と同様に今回寄贈された草稿には署名がありませんでした。1篇のみ発表意識をもって賢治が署名したとは考えにくいでしょう。
これらの科学分析や執筆特徴などの総合的な判断から、直筆だと判断しました。

 
左から、「ひるすぎの三時となれば」、「S博士に」の直筆草稿
 

HORIBA Talk:なぜ佐藤氏が直筆の草稿を持っていたのでしょうか?
宮澤学芸員:宮沢賢治全集が昭和初期に成立し、実はその際の調査でも佐藤氏がもっているということは明らかになっています。
昭和20年に花巻市も空襲にあいましたが、賢治の実弟である宮沢清六氏が防空壕や土蔵にいれて草稿を守りました。守った草稿の中に疾中詩群があり、明らかに佐藤氏について書かれたものだったので、お渡ししたと聞いています。宮沢賢治記念館では本草稿の画像データを所蔵していたのですが、今回そのデータが複製したもののデータで、直筆のものとは異なることがわかったのです。
HORIBA Talk:今回の科学分析で苦労されたことはありますか。
小原学芸員、宮澤学芸員:今回は大塚巧藝社さん、HORIBAさんに進めていただいたので、科学分析に関しては苦労したという印象はありませんでした。
蕨迫様:測定したい赤インク、黒インクの濃い部分が微小部分析装置の測定できる範囲に収まるか心配していましたが、無事分析することができてよかったです。
 
 
HORIBA Talk:HORIBAに依頼いただいた経緯を教えてください。
蕨迫様:花巻市から科学分析の相談を受けた際、HORIBAが蛍光X線分析装置を取り扱っていることを思い出しました。絵画の分析実績があることをウェブサイトで知り、インクも分析できるのではとすぐHORIBAに問い合わせました。草稿の一部をちぎることやレーザーによって内部を傷めることがない分析手法をHORIBAと相談し、ラマン分光などさまざまな分析手法を検討したうえで最終的に微小部分析装置を使用して分析しました。


 

HORIBA Talk:直筆草稿が見つかった感想をお聞かせください。
宮澤学芸員:実は、賢治の草稿のほとんどが宮沢賢治記念館に所蔵されています。このように草稿が花巻市に寄贈されること自体が珍しく、これまで正しいとされてきたものが異なっていたということに驚きました。詩のモデルである佐藤氏が所蔵していた貴重な詩を託されたことを受け止め、しっかりと未来につないでいきたいと考えています。
HORIBA Talk:科学分析に対する期待があれば教えてください。
宮澤学芸員:賢治の草稿の多くが宮沢賢治記念館に所蔵されている背景から、賢治の草稿の科学分析は当館では今回がはじめてでした。賢治は書く時期によって執筆に使用する鉛筆、ペン、紙などが異なります。残存する賢治の愛用品は少ないのですが、作品ごとに使用していた当時の文房具やそのメーカーなどがわかればおもしろいと思っています。
小原学芸員:花巻博物館では、今回の調査の他にも花巻人形の色彩について科学分析を行っています。花巻人形は江戸時代後期から作り続けられており、過去使用されていた花巻人形の染料や作り方を調べることに役立っています。今後も科学分析を活用できればと思います。
HORIBA Talk:今後の展望を教えてください。

宮澤学芸員:賢治の草稿の多くを宮沢賢治記念館で保管していますが、種類や状態がばらばらですので、今後も未来につないでいくという視点で、補修や保全に力を入れていきたいと考えています。
小原学芸員:私は岩手県出身の日本画家の調査、展示も行っています。
文献に加え実際に町の方に聞き取り調査を実施するなど幅広い調査を精力的に取り組んでいきたいです。
HORIBA Talk:貴重なお話しをありがとうございました。
 
関連情報
微小部X線分析装置で分析する様子