浮世絵の「復元」に分析技術が貢献 ~当時の色を蘇らせる、HORIBAの色材分析~

 

HORIBAグループでは、10ヶ国・17拠点に分析センターを置き、各国最先端の分析ニーズに対応しています。日本では、東京と京都にある「HORIBAはかるLAB」(以下、はかるLAB)を拠点に、製品のデモンストレーションや受託分析、共同研究などを通して社内外へ分析技術を提供しています。幅広いアプリケーションに対応した受託分析では、企業の製品開発や品質管理に関わる分析はもちろん、文化財や美術品の分析も請け負っており、貴重な作品類の保存や修復、真贋判別などに貢献しています。

このたびはかるLAB(東京)において、HORIBAとしては初となる「浮世絵」の絵の具に関する分析を請け負いました。依頼くださったのは、浮世絵復元家として、鎌倉でその技法の研究や作品づくりに取り組む下井 雄也さん(下井木版印刷所)です。
浮世絵の復元に対し科学的な分析がどのように貢献できるのか、またHORIBAに期待することなどについて下井さんにお話を伺いました。

 


 

めざすのは、江戸時代の浮世絵を現代に蘇らせること

まずは、どのような目的で今回の分析依頼をくださったのか、その背景をお聞きしました。

HORIBA Talk:浮世絵の「復元」とはどういったものでしょうか? 下井さんが浮世絵復元家となられたきっかけは?

下井さん:“復元”というのは、いかにオリジナルと同質のものをつくるか、をテーマとしています。似た表現で“復刻”があり、浮世絵の世界でも多くの復刻版が出回っていますが、浮世絵復刻版の傾向としては、その時代その時代で求められる美術品や装飾品としての、よりグレードの高いものが目指され、作られてきたという部分があります。そのため極端に言えば、絵や構図は浮世絵でも、現代人の生活様式やセンスに合わせて色を大胆に変えてしまっているものもあります。結果的に、特殊な例外を除き、材料もオリジナルとはまったく別物であることがほとんどです。

反対に「復元」は、現代の感覚を取り入れず、紙や絵の具の材料なども含めて完成した当時の作品をいかに再現するか、に拘ったものです。
市場にはたくさんの浮世絵復刻版がありますが、私が見た限り、完全に当時の浮世絵を再現したものはありません。まったく新しいものになっているか、再現しようとしたものの達成されていないか、です。そしてその原因は、時代の流れのなかで紙や絵の具といった材料が消失し手に入らなくなってしまったことが一つ。もう一つは、復刻版が“美術品”を目的に作られているからだと考えています。

私はもともと木版画摺師として浮世絵の復刻に携わってきましたが、当時のモノをつくるのであれば、やはり紙や絵の具、技法にまで拘りたい、追求したい、という思いがありました。そこまで拘って、技法も材料も同じにして初めて、江戸の浮世絵は蘇ると考えているからです。そのため、改めて彫りの技術を習得し、自分で彫って摺って、材料も自ら調達し、それでもって自分の作品をつくることをめざしてきた結果、自然と今のスタイルになりました。

HORIBA Talk:なるほど。まさに江戸の人たちが手にしていた当時の浮世絵を、紙や色合いなどの質感そのままに蘇らせる「復元」をめざしていらっしゃるのですね。具体的にはどのように復元作業を行っていくのでしょうか。

下井さん:浮世絵ではまず輪郭線を彫ってから、原画を見て、製版する上でどのように色分けするかの“色分解”を行っていきます。どんな色が、何色使われているのか?を判別していく作業です。この色分解は、よほど退色が進んでいない限り肉眼でもできる作業です。画集にある保存状態の良い作品と照合したり、仮に色が退色していても、図中から同じように退色している箇所を選び取ればいいからです。ただ、この後にそれぞれの色版を摺っていく工程で必要になるのが、「そこに何の絵の具が使われているか」という情報、つまり絵の具の色そのものの判別です。

浮世絵の色はそれぞれの摺師によって、その時代で手に入る材料の中から、各々が目的とする色を出すために必要なものが自由に選択されてきました。
語り継がれた情報がほとんど無い中、目に見える情報だけでは絵の具の材料まで正確に判別することは出来ません。そこで、「いかに同質のものをつくるか」という自分自身が達成したい本質を突き詰めるため、科学的な精密分析を取り入れることにしました。加えて、江戸時代の浮世絵の絵の具に関してはまだまだ謎の部分も多く、単に作品づくりのためだけではなく、江戸の浮世絵を研究する観点からも、当時の絵の具の分析は必要だと感じました。

HORIBA Talk:その「謎」というのは例えばどのような・・・?

下井さん:普段は文献調査をしながら色の想定をしているのですが、例えば「黄色」の絵の具は何種類かあったとされつつも、これまでの調査では検出されていなかったり、或いは文献に無いものが検出されていたりもします。実際にどうだったのか、という明確なデータが圧倒的に少ないのです。作者や時代によっても使う絵の具は変わりますし、それがその後にどういう人の手に渡ったのかという変遷まで含めると、どんな材料で色が付けられているのかは本当に分かりません。
そのため、実際の浮世絵原画を用いて精密に分析してもらうことが必要だと考えました。分析計測をしている会社をたくさん調べましたが、文化財の分析を行っている会社で、かつ浮世絵などの染料の分析までできる会社はHORIBA以外には見つけられず、今回分析をお願いすることになりました。

HORIBA Talk:絵の具の色一つひとつにも当時の時代背景などが絡んでいると想像するだけで、ドキドキしますね。そのような現場に、分析を通して立ち会えることはとても有難いことだと感じます。

 


 

江戸当時の色に迫る、「はかる」技術

今回、下井さんが持ち込まれたのは「東海道五十三次之内 水口 長右衛門」(嘉永5年/1852年)という作品で、作者は江戸時代後期に絶大な人気を誇った歌川豊国の3代目・国貞。かの有名な歌川広重の「東海道五十三次」を背景に、当時人気の役者を各宿場にちなんだ物語や風俗に見立てて配したシリーズの一つです。

今回、HORIBAで実施した浮世絵分析

浮世絵の絵の具には「顔料」と「染料」があります。鉱物系の絵の具に代表される「顔料」は日本画や西洋画にも用いられる一方、例えば「ウコン」や「ベニバナ」といった植物系の「染料」は、浮世絵の中でも特に江戸時代の作品特有とも言えます。他の絵画と同様に、顔料はX線分析で元素を解析することができますが、染料は金属ではないため元素分析ができません。そこで今回は、X線分析顕微鏡(XGT-5200)に加えて顕微レーザラマン分光測定装置(LabRAM HR Evolution)を併用することで、得られた分子構造から材料を解析する手法を取りました。
(→X線分析顕微鏡を用いた文化財の解析については過去の記事を覧ください。)

◆ラマン分光装置とは?
― 物質に光を照射すると、光と物質の相互作用により、入射光と異なる波長を持つ「ラマン散乱光」が出てきます。そのラマン散乱光を分光し、得られたラマンスペクトルから物質の種類や状態(分子構造)を解析する装置がラマン分光装置です。ラマン散乱光は入射光よりも非常に微弱なため、光源や分光器といった部品の性能や光学設計が装置の性能に大きく影響します。HORIBAのラマン分光装置では、分光分野のパイオニアとも言えるジョバンイボン(現ホリバ・フランス社)の技術に裏打ちされた最高峰のグレーティングをコアパーツとして搭載しています。
直接試料に触れないため、XGTと同じく“非接触・非破壊”の分析手法ではありますが、こちらは単色レーザーを照射するため、特に色が付いた試料は光を吸収しやすい傾向もある(測定条件によっては試料を傷付ける可能性もある)ことから、慎重に分析を行いました。

ラマン分光分析(当社ウェブサイト)

◆X線分析との大きな違いは?
― 前述した通り、「染料」のような有機化合物など、金属元素を含まない試料はXGTを用いて元素分析することが出来ません。今回も、ベニバナやウコン、アオバナといった染料はラマン分光装置で解析しました。また、金属元素を含む試料であっても、他にどのような原子と結びついているかによって、その物質の成分(種類)はまったく別物になります。今回でいうと、「ベロ藍(C18Fe7N18):青系色」と「ベンガラ(Fe2O3):赤系色」はどちらも“鉄(Fe)”を含む物質ですが、それぞれ酸素や窒素、炭素などの原子と異なる配置で結びついているため、結果的には全く別の色ということになります。これらをXGTで分析した場合、同じ鉄(Fe)元素が検出できるものの、実際に何の物質であるかの同定まではできません。そういった場合に、化学的組成まで見る事のできるラマン分光が有効ということになります。

蛍光X線分析(当社ウェブサイト)


 

HORIBA Talk:今回の分析結果について、教えてください。

下井さん:自分で色分解をしてみて、特に判別が難しかったポイントを重点的に分析していただきました。いろいろ予想はしていたものの、結果的には多くのポイントで予想を裏切られる結果になりました。例えば、「鉛白(えんぱく)」という鉛から作られる白の絵の具が、予想以上に広範囲で使われていたことです。鉛白は他の色と混ぜて使われるというのは文献にも出ていましたが、今回の作品だと空や着物の大部分で鉛白を検出しました。白色としては他にも、牡蠣の殻でつくる「胡粉(ごふん)」もありますが、鉛白と胡粉がどのように使い分けされていたのかは解明されていません。当時の作者の任意なのか、もしくは何らかの規則性があるのか、それとも時代的な背景があるのか・・。同じように、色味としてではなく、顔料を水に溶く際の分散材や乾燥後の絵の具の剥離や分離を防ぐ目的で添加されていた「膠(にかわ)」についても、検出された部分とそうでない部分の規則性の有無など、不思議な点が幾つか見当たりました。

また、思ってもみない素材も出てきました。唇部分で検出された「チタンホワイト」です。これは文献でも触れられていないばかりか、そもそも江戸時代には存在していなかった色なので、もしかしたら後年に補色などで塗られた可能性も考えられます。このように肉眼では判別できない、予想から大きく離れた結果もありました。謎が一層深まった部分もありますが、今後もっと分析点数を重ねていくことで、何らかの答えを見つけることができればと思っています。

HORIBA Talk:今回の分析結果をもとに「復元」した結果、作品の色味が大きく変わるような部分はありますか?

下井さん:そういう発見もありました。目尻の部分の色味はもともと、染料の退色だと思っていました。赤色で使われる「ベニバナ(紅)」は経年劣化により茶色く変色する傾向があるため、それだと思っていたのです。でも実際には「ベンガラ」だと判明し、最初から褐色だったということが分かりました。同様に他の赤色部分からもベンガラが検出されており、思っていたより渋めの赤が使われていたということになります。この分析結果が無ければ、当初の想定どおり紅をベースに、僅かにベンガラを加えた赤色で摺っていたはずです。目尻の部分は特に全体に与える印象も強くなるので、できあがりの作品のイメージはだいぶ違っていたのではないかと思います。

HORIBA Talk:分析結果一つで作品の色味やイメージまで変えてしまう場合があるというのは、とても責任ある役割であることを、改めて感じました。

 


 

浮世絵の復元に「はかる」が果たしていく役割

HORIBA Talk:浮世絵の原画の分析は今回が初めてとのことですが、今後このような科学的なアプローチが、浮世絵の復元に役立っていくでしょうか。

下井さん:今回の結果からも、分析をするのとしないのとでは完成品の色がガラっと変わることもあると分かり、復元をする上で「分析」というのは大変有効な手段であると感じています。今回の分析だけではハッキリとしないこと、謎が更に深まったこともありますが、時代背景や、摺師それぞれの癖や技法といった要素も踏まえて江戸時代の浮世絵を研究していく上でも、大変いい発見となりました。
今後、この科学的な分析の点数を増やしていくことでデータを蓄積しながら、作品制作とともに研究を進めていきたいと思います。

 


 

彫りと摺り、そして色材も自ら採取しに行くなど、その道は決して容易ではないものの、江戸時代の浮世絵の“当時の姿”にとことん拘り、素材や技法まで突き詰めた上での「復元」に挑む下井さん。今回の分析結果ですべてがクリアになったわけではなく、新たな疑問が浮上した部分、この後の摺り工程の練り直しを余儀なくされた部分もあるとのことでしたが、その表情は明るく、浮世絵に実直に向き合う下井さんの姿がとても印象的でした。

浮世絵の色材分析を通して下井さんの大きな夢に触れ、またその結果や作品から、江戸の人々の生活や息使いにまで触れられることを、我々も大変うれしく思います。今後も、このような取組みを科学分析の立場から応援して行きたいと思います。

 


 

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