日本パーカライジング株式会社 総合技術研究所
吉田 昌之 (よしだ まさゆき)取締役・常務執行役員 (インタビュー時 取締役・総合技術研究所・所長)
金属の耐食性、耐摩耗性を高めるだけでなく、密着性、親水性、防汚性、絶縁性などの新たな機能付与も可能とする表面改質技術。将来のありたい姿「Vision2030」のなかで「あらゆる表面をカガクで変える」をスローガンに掲げ、表面改質技術の研究開発に邁進されている日本パーカライジング株式会社 総合技術研究所を訪問しました。
表面改質技術、表面処理というと難しく聞こえますが、当社でいう表面改質とは、簡単にいうと「金属を守ること」です。金属の寿命を決定づける要素は、「錆(腐食、化学的な損耗)」と「摩耗(摩擦による機械的な損耗)」の二つに大別されます。この二つから金属を守り、その金属を長持ちさせるために表面改質技術を提供しています。と説明くださるのは技術本部をけん引する 吉田 昌之 取締役。
私たちが提供している表面改質技術は、一般の人の目に留まることは、ほとんどありません。しかしながら、実際は生活に密着したところに多数存在しています。身近な例として自動車があります。自動車のボディーは、ほとんどの場合、金属でできています。自動車ボディーの表面といえば、自動車の色、美しい塗装を思い浮かべるでしょう。そのカラフルに塗装された色の下、塗膜と金属の界面には、表面処理皮膜があります。最新の技術で処理をした表面処理皮膜の膜厚は、塗装の膜厚に比べて1/1000程度になります。この極めて薄い皮膜が塗膜と金属を密着させるとともに、金属を腐食から守る役目を担っています。
またカーエアコンにおいては、その熱交換器の中にあるフィンの表面に親水性を付与する表面処理皮膜を施しています。これによって、エアコンを運転したときにフィン表面に凝縮する水を排出しやすくしています。結果的にフィンの間隔を狭くすることができ、機器そのものをコンパクトにすることができますし、凝縮水によって生じる通風抵抗を下げ、省エネルギー化に貢献しています。さらに自動車のタイヤには、細い鋼線が織り込まれていますが、この細い線を高速で製造する際に、潤滑を目的とした表面改質技術が使われています。このように目に見えない自動車のいろいろなところに表面改質技術が有効に生かされています。
当社は1928年に「パーカライジング」法という“りん酸塩処理技術”のライセンスを米国のパーカー・ラスト・プルーフ社から受けたことにはじまります。表面改質により、「限りある資源を有効活用する」が創業からの企業理念になります。戦後当社の技術は自転車、家電にはじまり、鉄鋼、自動車へと応用されていくようになりました。現在は鉄や鋼だけでなく亜鉛めっき鋼板やアルミニウム、チタンなどの他の金属、さらには、ガラスや繊維などへと、その対象を広げています。与える機能も前述の耐食性、耐摩耗性だけでなく、親水性、撥水性、絶縁性、導電性、接着性、非接着性、断熱性、放熱性など、その可能性を広げています。最近上市した例では、手術用電気メスの表面改質があります。メスの先端部分に皮膜を施し、汚れを付きにくくしています。汚れが付きにくくなると、手術の時間が短縮され、感染リスクや体への負荷を減らすことができます。普段は目に留まらない、気が付かない、暮らしをとりまくあらゆる場面で表面改質技術が活躍しているのです。
金属の腐食については、古くから研究されており、これに関する書籍や論文などもたくさん出ています。腐食が進み、金属がある程度酸化し終えた後に関しては、それがどのような状態になっているか、解明されつつあります。錆の進行過程を考察した、腐食モデルなども多く提唱されています。ただ、本当にそうなのかを結論付けるのはまだ早い気がします。本来は”in-situ”で腐食挙動を観察したいのですが、腐食は長い年月、複雑な環境下(一定でない)で進むため、実験室レベルでの検証は困難が伴います。完全解明に向けて日々、研究するなか、腐食生成物の分析に活躍しているのが顕微レーザーラマン分光装置(以下ラマン)です。ラマンというと有機分析装置という印象が強いですが、同装置を用いて無機物がメインである腐食生成物の分析事例が発表されたことに注目しました。そして当社では、2012年3月にラマンを導入しました。
「導入の決め手はお客様からご要望の多い精細なマッピング分析ができること、スポット的な微小部分析ができることです。」とお話くださるのは、ラマン分析担当の総合技術研究所 解析科学研究センター 吉岡 信明(よしおか のぶあき)主任研究員。
ラマン分光装置を操作する吉岡主任研究員
腐食促進試験や暴露試験で生成した腐食生成物をラマンで分析することによって、化合物の状態から、初期の錆なのか、進行した錆なのか、また塩化物イオンを含む錆なのか、どのような履歴を経ているのかなどを明らかにすることができます。同時に表面改質(耐食性付与)した金属の耐久性を評価することもできます。化学反応式(理論的)が予測する腐食の進行や進行過程の腐食生成物の構造が、ラマン分析によりデータ的裏付けを得ることができています。ラマンの力によって、腐食のメカニズムが徐々に明らかになっているのです。メカニズムを明らかにすることにより、表面改質(耐食性付与)技術の開発を進めることができます。他方、日々現場で起こる不具合の解析にも貢献し、お客様との信頼関係を築く一助にもなっています。
「マーカス型高周波グロー放電発光表面分析装置GD-OES(以下GDS)は、さまざまな試料の深さ方向の元素分析が可能であり、構成元素や目的とする元素の分布解析に役立っています。」と説明くださるのは同研究所 解析科学研究センター 田口 秀之(たぐち ひでゆき)主任研究員。
GDSでは、数μm~数十μmの深さの元素分布を短時間で測定できるため、数多くのサンプルを分析できることがメリットです。特に、熱処理による改質層は厚みがあり測定時間の短いGDSは重宝しています。また、パルス・スパッタリングという方法を用いることによりスパッタリング速度をコントロールすることが可能です。これによって、比較的薄い膜でも精密に分析できています。
「当社では、解析科学研究センターだけでなく製品開発を行っている研究センターのメンバーにも分析機器を開放していますが、HORIBA製のGDSは「操作性がよい」、「ソフトも使いやすい」といった声が多く上がっています。」とお話くださるのは同研究所 解析科学研究センター 軽部 健志(かるべ けんじ)センター長。当社では4,000 種に近い薬剤を扱っており、また、市場化している薬剤は、水系のものが多いです。前述のりん酸塩処理は、水系の処理で金属と処理液界面のpH変動を利用して皮膜を生成させています。私たちにとってpHは重要なファクターで、HORIBA製のpHメーターは日常的に使用しています。また、水系分散型薬剤では、溶液中での分散物の粒子径が大切なファクターの一つです。HORIBA製の粒度分布計は簡便に測定できるため、有効に利用しています。
「1945年にノーベル物理学賞を受賞された物理学者ヴォルフガング・エルンスト・パウリ博士(量子力学におけるパウリの排他原理が有名)が、表面科学の複雑さを表した言葉として引用されています。現状、表面科学においては、机上の理論だけでは解明できない場合がほとんどです。」と吉田取締役は表面科学の奥深さを指摘されます。
化学反応を利用する表面改質技術の研究開発においては、まずは対象となる素材表面の状態をよく観察します。次いで、表面改質あるいは表面処理を施し皮膜を形成させ、その皮膜などの状態を観察します。そして、その皮膜の性能(耐食性、耐久性など)を評価します。最後に、評価後の表面状態を観察します。基本、この繰り返しによって現象の実像に迫り、繰り返すなかで良い皮膜へと絞っていきます。実験の繰り返しにより、開発を究めているといっても良いでしょう。表面科学は、理論科学ではなく、いまだ実験科学の領域にあるのです。実際に研究開発を行っていると、まさに悪魔がいるのかと思うような事象に出会うこともあります。未開の分野と言い換えても良いと思います。逆に捉えるならば、まだまだ、やることが無限、豊富にある“夢”を含んだ分野ともいえるでしょう。日々、研究開発を行うなか、分析機器は私たちにとっては欠かせない、大事な片腕のようなものです。
分析技術の進歩は目覚ましく、日進月歩という気がします。20~30年前には想像の世界でしかなかった表面が、今、その実像を現しつつあります。電子顕微鏡を例にとっても、倍率が一桁違ってきています。また、表面観察(上から観る)だけでなく、断面観察(横から観る)も可能になってきていて、さらには、それがナノオーダーの皮膜でも可能となってきています。上から、横から観察することで、実像により近づくことができます。近い将来は、“in-situ” 観察が進み、先ほどの腐食進行なども、動画で観ることができる時代がくるのではないかと期待しています。そして、それら解析をベースに、非常に薄く高機能な皮膜を形成することができる時代がくると信じています。そこに、『限りある地球上の資源の有効活用』という当社理念の技術的究極があるのではないかと思っています。その頃には「表面も神が創りたもうた」となるのでしょうね。
2021年に発表したVision2030 で掲げるスローガンです。私たちは世の中に表面がある限り、“科学”と“化学”の力で表面改質が可能と信じています。付与した機能にて素材の価値が上がります。“価学”となるのかもしれません。この社会には多種多様な素材があります。私たちが貢献できている分野は、いまだ極めて微小かもしれませんが、その対象は無限に近く、それらは変えられる可能性があります。周知のように、持続可能な社会が望まれています。“Sustainability”は、”Sustain”と”Ability“を足したものです。”Sustain“は、”Sus(下から)“と”Tain(支える)“に由来します。「下から支える」と読み解くと、当社のような会社の意義は高まってきていると捉えることができるかもしれません。まだ限られた分野で微力ではありますが、下から支えることの大切さを胸に、いろいろなことにチャレンジしていきます。
2024年には、クリーンな実験室、最先端の分析装置を備えた新しい研究所を神奈川県平塚市に開設予定です。現在の総合技術研究所と同規模の施設を併設する形で新設します。さまざまな分析技術を駆使し、表面改質技術の研究開発を進め、『地球上に限りある資源の有効活用を図り、地球環境の保全と豊かな社会作りに貢献する』という企業理念を体現することを使命とし、2028年に迎える創業100周年、そしてその先の未来に向けて、表面がある限り、いろいろな可能性を探っていきます。
(インタビュー実施:2022年5月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。