シチズンサイエンスを活用した大規模水質調査「山の健康診断」に技術協力

―身近な森や山の健康状態を知ることから、自分ごと化して環境問題を考えるー

私たち人間が健康を保つために、定期的な健康診断や人間ドックを利用するように、森や山が今どんな状態にあるか、その健康状態を診断できたら・・・そんなひらめきから始まった「山の健康診断」※1プロジェクト。国内では20年振りとなるこの全国規模での河川水の水質調査は、研究者だけでなく、一般の人々が参加するシチズンサイエンス2の手法が用いられました。2022年に全国1,428ポイントで河川水の採水を終え、2023年春からデータ分析を開始、そのデータ分析にHORIBAのpH計、EC(電気伝導率)計が活躍しています。
「山の健康診断」について、発起人である京都大学フィールド科学教育研究センターの徳地 直子(とくち なおこ)教授と、プロジェクト推進メンバーの大阪産業大学デザイン工学部環境理工学科の赤石 大輔(あかいし だいすけ)准教授、総合地球環境学研究所の牧野 奏佳香(まきの そよか)研究員にお話しを伺いました。

■ご専門の森林生態学分野のご研究から、今回の「山の健康診断」プロジェクトを始めようと思われた背景を教えてください。

(徳地)私の研究分野である森林生態学分野では、森林に生息する動植物や微生物などの生態系と、土壌や気象などの環境要因との相互作用を調べて森林の現状や変化をさまざまな切り口から研究しています。そのなかでも物質循環の側面から、窒素循環の研究をしています。大気中の窒素は雨となって森の中へ入ります。その窒素が森の中でどれだけ使われ、河川水となってどれだけ出ていくかを見て、森林の循環機能を調べています。

最近は森林生態学で扱う森林や山に加えて、海の影響や人・人工物が存在する里域の影響までを一緒に考えて生物の多様性を守ろうとする森里海連環学(もりさとうみれんかんがく)の動きがあります。
研究を始めた当初は森の循環だけを見ることで満足をしていましたが、いくら森林生態だけを一生懸命にやっていても、いろいろな環境問題に対する答えはでません。森里海連環学を提唱された京都大学名誉教授の田中克先生のお考えに触れたことで、物質循環を見る時に森だけを見るのではなく、少なくとも流域レベルで物質循環を捉えようとの心持ちが芽生えてきました。
 

■森林にとどまらず海や里域、人の影響を含む大きな環で物質循環を意識されるようになったことが、今回の「山の健康診断」の発想につながったのですね。

(徳地)そうですね、海や里域、人や人工物を含む影響まで見ていくのが森里海連環の考え方ですので、自分の研究領域にとどまらず、いろいろな分野の人と一緒にやっていこうという気持ちが強くなっていました。一方で、私を含めて環境や身の回りの自然のことにもっと気を配ってもいいのではないか、自分事として捉えて行動に移してもらうにはどうしたらいいか、ということを考えていたので、自分でアクションを起こせばもうちょっと興味を持ってもらえるのかなと思ったことも契機となりました。
日本で初めて大規模な水質調査が行われたのは2003年のことです。一人の研究者が全国約1,300地点の採水ポイントで水をとって渓流水を調査されました。実はそれまで日本で大規模な水質調査が実施されたことはありませんでした。
モニタリングは大事ではあるけれど、長期にわたって継続することは大変で、また、成果が出にくいことから研究費がつかないという背景があります。上流域の河川水の水質調査は人手が必要で危険も伴うため、やる人がなかなか現れずに、2003年の調査から20年が経ってしまいました。そうした状況で、もし今、同じ調査をやれば20年前の調査がモニタリングとして成立します。そして、もし誰かが20年後に同じ調査をしてくれたら、さらに長い期間でのモニタリングにつなげることができます。いいタイミングだから、とにかくモニタリングをしないと「もったいない」と思ったことが始まりです。
 

■そんな時にモンベルさんとの包括連携協定のお話があったのは運命の巡り合わせですね

(徳地)2020年の協定締結※3の場にたまたまモンベル創業者の辰野会長がいらしたので、「この人に「山の健康診断」のことを言ったらおもしろがってもらえるかもしれない」と思い立って、いきなりでしたが会長にお話をしてみたら、「面白いからやりましょう」と言ってくださった。そこからさっそく研究費の申請をして、話がとんとん拍子に進みました。
また辰野会長と出会う以前、コロナ前のことになりますが水関連の講演会で堀場アドバンスドテクノの金谷シニアコーポレートオフィサーと知り合っていました。同学年で山歩きを趣味にされていることから親交が始まり、HORIBAで分析できる項目についてもいろいろと伺っていました。ちょうど同じ頃に赤石先生が京都大学に来られ、牧野研究員が学位を取得したタイミングが重なりました。「山の健康診断」の仕事は私一人ではとてもできないと思っていましたので、一緒にプロジェクトを進めていける心強いメンバーと出会い、体制が揃ったことにも後押しされました。

■活動メンバーとの出会い、タイミングが本当に奇跡的ですね。目に見えない力に後押しされて始まった「山の健康診断」プロジェクトですが、20年経過すると地形の変化もあって場所の特定が難しかったと思います。どうやって場所を特定されたのか、また採水にあたって苦労されたことがあれば教えてください。

(徳地)20年前にはGPSが既に一般的になっていたので、幸いにも当時採水されたポイントの緯度経度がデータとして残っていました。それを牧野研究員らが一つひとつ地図におこして場所を特定して、それを赤石先生がウェブページに挙げて採水ポイントを参加者の方へ周知してくれました。

結果的に20年前と比較して八割方同じポイントで採水することができました。この20年間で土砂崩れの後に道路がそのままになっている所も多くありますし、人が住まなくなった地域もあります。そのため、採水ポイント近くまで行ったものの採水が難しいということもありました。多くのケースは現地での判断に委ねるものの、メールやお電話で連絡いただくこともあって、そこは牧野研究員が丁寧に対応してくれました。例えば、採水ポイントまでの道や川がなくなっていた場合はその手前で採水してもらっています。新しい採水ポイントは参加者がそれぞれ自由に選ばれた場所になっています。ただし、その川の上流に人工物がないという条件を設けて、採水される方が気になるなら採水してくださいというスタンスです。採水後にその採水ポイントを牧野研究員が地図などで調べて、上流に人工物がないことを確認してくれました。当初は危ない場所に頑張って向かわれて怪我をされてはいけないという心配もありましたが、皆さんが安全を確保しながら適切に対応してくださって、大きな事故もなく無事に採水を終えることができました。
 

今回はモンベルクラブのご賛同があって629名の協力を得て1,428ポイントの採水をされましたが、20年前はいったいどうやって実行されたのでしょうか?

20年前は研究者が声をかけ、スペシャルチームを組んでいました。2、3人のチームを2~3結成して、各チームが全国何百カ所と採水ポイントをまわりました。驚くことに1年間で採水を終えられたようです。

■そのような少数編成でも1年間で達成できたのはすごいことですね。改めて20年前の調査隊の熱意に敬意を表したいです。さて、今回の「山の健康診断」では窒素量が環境に強く影響を及ぼすことから硝酸とpHを主な測定項目にあげておられます。今まさに、集まったデータをさまざまな側面から検証されている最中だと思います。お答え可能な範囲で構いませんので、過去のデータを見ていただけでは想像できなかった事象や発見、さらに今後掘り下げて検証されたい事象があれば教えてください。

(牧野)硝酸濃度については日本全体でみて大きな変化は見られませんでしたが、よく見ると四国や九州南部で上昇傾向がみられました。変化のあった場所がバラバラと点在していたら、たまたまかなと思いますが、ある程度固まった動きなので何かあるのではないかと個人的に興味をもっています。

(徳地)硝酸濃度は、なぜそういう分布になるのか、たくさん窒素が入ったらたくさん窒素が出るというだけでなく、他にいろいろな絡みがあるので、今回の分析でそれがもうちょっとわかればいいなと思っていろいろな分析をやってみようとしています。
例えば、20年前は手が回らなかった、リン酸濃度の精度を良くしたいと考えています。またアルカリ度も測定に手間がかかるため前回はできていないところ、今回はそれをHORIBAさんで対応いただいてとても助かっています。

■微力ながら私たちの「はかる」技術が役立ってとても光栄です。3月に報告会を終えられ、ひとまず活動は一段落されましたが、この先20年後の「山の健康診断」につなげるために今回の活動から期待する波及効果と今後の展望について教えてください。

(徳地)これまでに2回報告会を開きました。今後も継続的に報告や意見交換のできる場を作ろうと、赤石先生に企画をお願いしているところです。

(赤石)はい、これまで山の健康診断に参加いただいた皆さんの中には、さらに調査に参加したいと意欲の高い方が多くいらっしゃいます。その方達と一緒に、今後さらに明らかになる山の健康診断の分析結果を共有する会を開催したいと考えています。さらに自分たちの地域でもやってみようかという人を増やして、モンベルクラブの方々を中心に、人の輪でどんどん環境について考える場を作っていけたらと考えています。

(徳地)例えば琵琶湖の日にみんなでpHとかECで水質を測るイベントをHORIBAさんとできないかと話しています。皆でそういう活動をすることで気持ちや意識が環境のほうへ向くのではないかと考えています。環境の変化を見て、どうしてそうなっているかを考え、どうしたらいいかをみんなで考える、そんなプラットフォームをYouTube動画やウェビナーなどを活用して企画していきたいですね。

■いろんな世代の人と環境や環境循環について考える場を作って、人と人のつながりから大きなムーブメントにつなげられたいとうことですね。

(赤石)それこそ今回の「山の健康診断」ではシチズンサイエンスの手法で調査を行い、科学者・研究者以外の人が参加してくださったことで、全国の水を短期間のうちに採取することができました。モンベルクラブを中心にアウトドアが好きな人に参加を呼び掛けて、参加する人にとっては自分が普段行く山や川に行って楽しみながら、親しみのある自然環境について新しいことが分かるというコンセプトで始めた活動ですが、今回の採水活動を終えてみて、参加する人が自分たちも山や川を使うだけでなく、自然を守る取り組みに参加したいという思いを持っている、そういう方がとても多いことが分かりました。研究者としては採水に注目していたのですが、そうした皆さんの思いに触れたことはとても嬉しい収穫でした。
自分たちが住んでいる環境をどうしたらよいか、子供だけでなく幅広い世代に向けた環境教育をどうにかして根付かせていきたいと考えています。しかしながら現状は「環境」というお題目だけを聞いて、どうしたらいいかわからないという風になってしまいがちです。まずは身近な周辺の川に近づいて水質調査をして川の状態や変化を知ること、そこからが自分に何かできないかと探せる第一歩になると考えています。シチズンサイエンスは地域の環境保全に主体的に参加する一つの入口になりますし、自分たちの住む地域を自分たちでなんとかするという自治の考えにもつながります。最終的にはみんなが身近な環境の変化を自分事化して次の一歩を行動に移すことが目標ですが、まずは一般の方と気軽に情報交換できる場をつくって、自然災害などに対し不安に思っていることを身構えずに相談・解消ができて、正しく理解してもらえるように働きかけていきたいです。

■シチズンサイエンスは物事を自分事で捉える入口にもなるのですね。小さなきっかけが人と人のつながりを生み、大きな力になっていくと思うとワクワクしてきます。最後に徳地先生の描かれる未来像、夢について教えてください。

(徳地)「全ての物事はつながっていて、誰一人、何事も他人事でない」というのが森里海連環の考え方です。そういう自覚をみんなで持てないかと思っています。そのためには、私たちがやっていることや、他の皆さんがやっていること、それぞれの知見を共有して、それを基にみんなで考えられる機会が増えるとよいのではないかと思います。
環境を考えるのは環境を考える人がやればいいとか、研究者は研究者同士で分かり合えばというのではなく、地球で暮らす世の中の人が自分事として環境のことを捉え、同じ目線に立って話しができるようになれたらとよいと思っています。みんなでこれからのことを考えて、実行できる社会になることを願いながら日々研究を続けています。現代の私たちは言わば与えられた様式で暮らしていますが、もっと情報を共有して、それを基にみんなで考えて行動を取捨選択できる世の中になってほしいと願っています。

(インタビュー実施日:2023年6月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。

Profile:

徳地 直子(とくち なおこ)
京都大学フィールド科学教育研究センター
教授
研究分野:京大フィールド研サイトへ

注釈:

※1山の健康診断:雨で空から降ってきた水は森の中で植物や土壌を介して循環した後に川に流れ出ます。人間が尿検査によって健康状態や病気の兆候などを尿の成分から調べるのと同様に、川に流れ出る水を森や山の尿になぞらえ、水質を調べることが森や山の循環の状態、つまりは健康状態を知る手がかりとなることから今回の水質調査プロジェクトを「山の健康診断」と命名。
プロジェクトには株式会社モンベルの賛同を得て、採水期間(2022年6月1日ー11月30日)に目標数の採水を達成、2023年から本格的なデータ分析が始まっています。

※2シチズンサイエンス:多くの人の協力が必要なため、研究者だけでなく一般の人にも協力してもらって研究を進める方法

※3京都大学フィールド科学教育研究センターと株式会社モンベルは人材育成、社会貢献、自然と生態系の保全などの分野で相互に連携協力し、持続可能な社会の発展に寄与することを目的に「包括連携協定」を2020年11月12日に締結した。

関連サイト:

「山の健康診断」公式サイト ー 報告会へのリンク

製品サイト

卓上型pH計 F-73
スタンダードTouph電極 9615S-10D
電気伝導率計 LAQUAtwin EC-33B