JAMSTEC横浜研究所 地球環境部門
地球表層システム研究センター 物質循環・人間圏研究グループ 宮川 拓真(みやかわ たくま)副主任研究員
環境変動予測研究センター 地球システムモデル開発応用グループ 伊藤 彰記(いとう あきのり)主任研究員
地球をとりまく大気には、火山活動や波しぶきなど自然現象から発生する物質、工場や自動車から排出されるガス、車のタイヤ粉塵といった人為的に発生する物質など、さまざまな物質が粒子となって漂っています。エアロゾルと呼ばれるそれらの物質は、気候変動や人の健康に影響を与えることが分かっているものの、そのメカニズムについてはまだ解明されていません。エアロゾルの発生源や構成成分を調査することにより、そのメカニズムの解明に取り組まれているJAMSTEC横浜研究所 地球環境部門 地球表層システム研究センター 物質循環・人間圏研究グループの宮川 拓真 副主任研究員と同 地球環境部門 環境変動予測研究センター 地球システムモデル開発応用グループの伊藤 彰記 主任研究員にお話しを伺いました。
大気に漂っている微粒子のことをエアロゾルと呼び、その粒子径は約0.01μmから100μmと広範なサイズで地球上のあらゆる場所に存在しています。ディーゼル排ガスに含まれるすす(煤)、火山噴火などで噴出された硫酸塩や鉱物粒子、身近なところだと黄砂や花粉、さらにはウィルスもエアロゾルに含まれます。
エアロゾルは発生と消失を繰り返しており、一度大気に噴出されたエアロゾルは永遠に漂い続けるものではなく、大気に漂っていられる寿命はせいぜい1週間程度です。海洋上にも当然存在しており、波しぶきも発生源の一つです。エアロゾルは気候変動に影響を与え、人や生物の健康にも影響を与えることが知られていますが、ある種のエアロゾル成分は生物地球化学においては重要な栄養として働くことが知られています。ただ、いずれもそのメカニズムは十分に解明されていません。
JAMSTECでは、人間圏から海洋への物質循環におけるエアロゾルの役割を理解するために、エアロゾルの発生要因やそれらが及ぼす影響のメカニズムなどの解明に向けて、継続的な調査を行っています。調査ではエアロゾルがどういったところで発生し、どれくらいの期間をかけてどういった経路で大気中を漂うかを調べています。調査方法には、エアロゾル発生源付近や離島など陸上での観測調査のほか、洋上を航海しながらエアロゾルを含む大気組成を計測する海洋調査があります。
産業革命以後、二酸化炭素をはじめとする温室効果気体とともにエアロゾルの大気放出も増えています。エアロゾルは漠然と健康に影響をもたらす程度の印象しか一般的にはもたれておらず、実際にどういう影響をもたらすかをわかっている人は少ないのが現状です。
地球の平均的な気温は、地球表面が太陽からの光を吸収し受け取るエネルギーと、地球表面から赤外線として宇宙へ放出されるエネルギーのバランス(放射収支)で決まります。
すすのような黒色のエアロゾルは太陽光を吸収し、大気を暖めます。一方で、大気中の雲は、太陽光を効率的に散乱・吸収することで、地上に到達する太陽光を遮り、直接地球がうけとるエネルギーを減らし、地表面の気温を低下させる役割を担っています。この雲はエアロゾルがないと生成されません。このようにエアロゾルは気候変動を左右する働きを持っていることから、エアロゾルと雲の相互作用の効果をより正確に予測することが大切だと考えられています。
エアロゾルの中でも、粒径2.5μm以下の微粒子をPM2.5と呼んでいます。このPM2.5 が人体にもたらす影響は、1990年代の初頭から盛んに研究されるようになりました。疫学研究においては、事故死ではない病死の患者の統計値に対しPM2.5エアロゾルの濃度と致死率の関係性を見比べることで、統計的なリスクについての研究が進められており、エアロゾルが健康に影響を及ぼすリスクの程度が理解されつつあります。
エアロゾルの中でも数㎛程度の大きい粒子は鼻までの到達にとどまり、花粉症などを引き起こす因子となりますが、1㎛よりも微小な粒子は呼吸の際に肺の奥まで取り込まれて表面に沈着します。
最近わかってきたことの一つに、呼吸を介して体内に取り込まれたエアロゾル粒子が空気と気道上皮の境界となる上皮被覆液に浸透したときに、どう働くかが重要であることがわかってきました。粒子内の遷移金属類などが上皮被覆液内に溶け出すと、酸化ストレスを生み出す活性酸素種(ROS)生成の触媒として作用することがわかっています。ROSが増加すると細胞に対して、酸化ダメージを与え、結果的に炎症や免疫応答につながり、疾患につながるとされています。このことは、エアロゾルの構成成分を理解することなく、その総量を把握するだけでは、エアロゾルが持つ人体への影響を真に理解することはできないことを意味しています。
福江島は長崎の西、五島列島のなかで最も大きな島で、季節風の変化をうけながら、本土から離れていることで日本のローカルな影響が小さく、また大陸との距離が近いことから観測点として最適な場所です。JAMSTECは2009年4月から福江島で観測をはじめて、オゾン、PM2.5、すす、二酸化窒素、などの大気組成の季節変化と経年変化を調べています。
2018年にこの島でHORIBAのPM2.5自動成分分析装置「PX-375」を使った最初のモニタリング観測を行い、PM2.5総濃度だけでなく、硫黄、銅、鉛、鉄、マンガン、ケイ素、カルシウムなどの構成成分の濃度についても、4時間間隔で約3ヶ月間の連続観測に成功しました。
PM2.5のトータル濃度に対し、①大気中で二次的に生成される硫黄、②人為活動に由来する鉛・銅、③鉱物(ミネラル)に起源を持つシリカ、カルシウム、マンガン、鉄の濃度変動を調査しました。(図1)PX-375による元素組成の連続モニタリングによって、短期の環境基準※1を超える高濃度PM2.5エアロゾルイベントが観測され、空気塊がどこから運ばれてくるかにより、元素組成に大きな違いが見られました。その元素組成の特徴をもとに、工場排出などの人間活動に伴う大気汚染であるのか、黄砂に代表される自然活動に伴う大気汚染であるのかが明確に区別され、さらに多変量解析を適用することにより、起源割合の定量化にも成功しました。
また、気象データを詳細に解析して観測された空気塊の輸送経路を遡り、輸送途中の降水の有無が輸送効率にどのような影響をおよぼすかについても調べました(図2)。これは、空気塊の輸送経路上の降水によって除去されるすす粒子を定量的に調べるために私たちの研究グループが開発したデータ解析手法です。これを鉛と銅にも適用したところ、鉛は降水の有無に対してすすと同様の動きを見せた一方で、銅は異なる挙動を示しました。これは銅がすすや鉛とは異なる粒子サイズ分布や混合状態(同一の粒子として存在するか、異なる粒子として存在するのか)を持つ結果であることが示唆されました。このようなデータ解析をエアロゾル中金属成分に対して適用できたのは世界で初めてのことで、短い時間間隔で連続してデータを取得できるPX-375だからこそ得られたデータだと言えます。この貴重な結果については論文※2にまとめて発表をしました。
エアロゾル中の鉄は人為的な発生起原をもつものと、鉱物起源のものが考えられます。人為起源としては、燃焼、また燃焼を伴わない金属製錬過程で出るものもあれば、車・鉄道のブレーキ粉塵、ロードダスト(道路に積もった砂塵の巻き上がり)や廃棄物の焼却処理などでも排出されています。
最近の研究によると、東アジアでは精錬過程の鉄が大量に放出されていると推定されていました。今回私たちが確立した方法によるシミュレーションから鉄の量を評価すると、すでに大気汚染対策のおかげでPM2.5の排出量が規制されていることもあり、精錬過程からの鉄の発生量・濃度が低いことが判明しました。
また南半球では、まだ清浄な大気組成が保たれていて、人為起源の鉄がほぼないと考えられてきました。ところが近年、南西インド洋上で夏に植物プランクトンの大増殖が発生するようになりました。以前はマダガスカルから北の海洋では魚が良く獲れて、南では獲れなかったのですが、最近では北では魚が獲れなくなって、南の漁獲量が増えているという現象が起きています。水溶性鉄は人体に入ると有害となりますが、海の生物にとっては海洋表層水中の溶存鉄濃度が低いため、むしろ成長を促す栄養源となり、植物プランクトンの増殖に人為起源の鉄が寄与しているのではないかとの仮説が立てられます。
鉄や有機物がどういう化学形態で存在しているかは物質循環のなかで非常に重要な因子となります。PM2.5自動成分分析装置「PX-375」を使って南半球での実測データを取得し、さらに精度のよいシミュレーションを確立できるようにしたいと思っています。
金属を含有するエアロゾルは生物にとって有害になる場合が多いため、将来的に削減していくほうがよいと考えています。例えば銅は、低濃度では植物プランクトンの成長の助けとなり、高濃度では妨げとなることが知られています。有害になるほど高濃度であれば迅速に削減に向けた対応をしていく必要があると思います。
ただ、そうした微量な物質のなかにも、鉄のように地球上で別の役割をもつ物質もあります。どの成分をどのように減らすかは環境基準や排出規制を考える時に、それぞれの良い点、悪い点の因果関係を検証したうえで検討していかなくてはなりません。
ここでモデルによるシミュレーションが役に立ちます。削減を実施する前に、規制対象とする発生プロセスに対して、結果としてどの程度削減されうるのかをモデルにより予測して、費用対効果を検討することが有効かつ必要であるといえます。そうした考えのもと、私たちはより精緻なシミュレーション結果を得るために、より正確な観測データを収集し、モデルによる予測性能の評価とモデル自体の改良を行っています。
モデルでは発生起源別にエアロゾル粒子中の金属元素濃度を短い時間間隔で計算されますが、これまでそれを検証できるだけの観測が決定的に不足していました。そのため、モデル内でどのようなパラメーター設定にすれば観測結果を正確に予測できるのかを精緻に診断できない状態でした。
これまでに実施したHORIBA製のPX-375を使った陸上・船舶観測によって、短い時間間隔での観測データを得ることができ、観測データから人為起源か砂漠(鉱物)起源かを統計的に切り分けることができました。観測値とモデル計算結果を同じレベルで比較できることで、より精緻なシミュレーションが可能になりました。
PX-375を活用した観測を経て、先般発表した論文※3では、エアロゾルを構成する鉄に着目し、これまで蓄積されたデータの信頼性を裏付ける精度の高いデータを確立することができました。
PX-375を導入した後、観測で運用し、論文に使用できるデータとして確定させるまでに多くの時間を要しました。当時HORIBAの開発担当だった青山さん、水野さん、松本さんには一緒になって考えてもらい、さまざまな試行錯誤を重ねて装置を改良して、ようやく自信のもてるデータを得られるようになりました。データの精度を出すためには苦労が必要だという信念をもって、自分たちなりに校正の仕方やデータを出すプロトコルを考えることに徹底的にこだわって、地道に研究に取り組んできました。
観測研究は、どうしても「観測場所在りき」となりがちですが、本来、モデル研究者にとって、データが欲しい場所で、欲しいデータを取得できるように観測計画が立案されることで、成果の最大化につながると考えています。数値モデルと連携して真に観測が必要な場所を割り出し、PX-375 を用いた陸上・船舶観測を継続・発展させ、大気エアロゾル中微量元素の地球化学・気候変動における役割をより正確に理解していきたいと考えています。
また2024年春には衛星によるアジア域における大気質観測を評価するための国際的な大規模航空機観測プロジェクトが計画されており、それと同期して東アジア域でのPX-375 の運用を計画しており、国際連携研究における活躍にも期待しています。すでにモデルの改良が進み、銅・鉛をはじめとした鉄以外の元素もシミュレーションできるようになってきています。今後は大気の重要成分である有機物まで視野にいれて研究を進めて、エアロゾルが生物地球化学的物質循環と気候変動へどう影響しているかを明らかにしていきたいですね。
(インタビュー実施日:2023年7月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。
※1:PM2.5濃度に対する短期基準は日平均値35 μg/m3以上になります。
<参照> 独立行政法人環境保全機構サイト
※2:Trace elements in PM2.5 aerosols in East Asian outflow in the spring of 2018: emission, transport, and source apportionment
Takuma Miyakawa, Akinori Ito, Chunmao Zhu, Atsushi Shimizu, Erika Matsumoto, Yusuke Mizuno, and Yugo Kanaya
Atmospheric Chemistry and Physics, 23, 14609–14626(Publication Date: November 27, 2023)
※3:Aerosol Iron from Metal Production as a Secondary Source of Bioaccessible Iron
Akinori Ito* and Takuma Miyakawa
Environmental. Science & Technology, 2023, 57, 10, 4091–4100 (Publication Date: February 28, 2023)
宮川 拓真 (みやかわ たくま)>JAMSTEC研究者総覧
2008年 東京大学理学系研究科地球惑星科学専攻終了:博士(理学)
2008年 柴田科学株式会社入社 研究開発部所属
2010年 東京大学先端科学技術研究センター 特任助教
2013年 海洋研究開発機構 研究員
2020年 海洋研究開発機構 副主任研究員
伊藤 彰記 (いとう あきのり)> JAMSTEC研究者総覧
2001 年 名古屋大学大学院工学研究科応用化学専攻修了:博士(工学)
2001 年 米国ミシガン大学特別研究員
2005 年 海洋研究開発機構ポスドク研究員
2007 年 海洋研究開発機構特任研究員
2012 年 海洋研究開発機構特任主任研究員
2014 年 海洋研究開発機構主任研究員