国立大学法人 東京工業大学 工学院 機械系 笹部 崇(ささべ たかし)准教授
CO2を排出しないクリーンエネルギー※1として注目されている燃料電池。すでに実用化が進んでいますが、コストや耐久性などに課題があり、燃料電池の利活用とその普及にはさらなる研究開発が必要です。燃料電池の普及をめざし、効率良く発電を行う燃料電池システムの実現に向けて研究をされている東京工業大学工学院機械系 笹部 崇 准教授にお話を伺いました。
燃料電池は水素と酸素の化学反応から電気を取り出すことができ、発電時にCO2を排出しないという点から注目されています。
しかし、燃料電池を搭載したクルマを広く普及させるには、さらなる軽量・コンパクト化とコストを抑える必要があり、燃料電池の高効率化・高性能化が求められています。
燃料電池は水素と酸素がそれぞれの極に供給されていますが、化学反応は触媒表面でしか起こらないため、高効率な発電を可能とするには反応場※2の設計が重要となります。例えば、酸素極では酸素と水素イオン(H+)、電子が触媒表面にスムーズに輸送されること、そのような触媒表面が多く存在することが必要です。
燃料電池で用いられているナノ多孔質の反応場は触媒層と呼ばれており、薄い複雑な構造を持つ触媒層における輸送現象の解明と構造制御が強く求められています。燃料電池は触媒として主に白金を使用しており、直径50 nm(ナノメートル)程度のカーボン粒子に直径数nmの白金触媒を担持させた白金担持カーボンを用います。触媒層は白金担持カーボンと高分子、溶媒を混合して得られる触媒インク(スラリー)を乾燥させ、溶媒を蒸発させることで得られます。燃料電池車用途では、触媒層の厚さは10μm(マイクロメートル)程度であり、酸素極では触媒表面で酸素・水素イオン・電子が反応することから、この三つが触媒表面にスムーズに運べること、そのような触媒表面が多く存在することが高性能触媒層の実現には必要です。
高性能な触媒層の実現に向けて、酸素極では酸素と水素イオン、電子が触媒表面にスムーズに運べること、そのような触媒表面が多く存在することが必要です。
また、高分子は水素イオンの輸送パスであるため、多くの高分子が白金担持カーボンに吸着することで水素イオンの輸送パスが形成されることが望ましいです。
しかし、その一方で高分子は酸素を通しにくいことから、高分子は白金担持カーボン表面に薄く均一に吸着していることが望まれます。そのような触媒層の実現には、触媒インク中で高分子を白金担持カーボンに吸着させることが必要です。白金担持カーボンに高分子が吸着する事で、白金担持カーボンの触媒インク中での凝集を抑制できると共に、高分子が白金担持カーボン表面に薄く均一に吸着した触媒層を作製できます。そのため、白金担持カーボンのインク中での粒子径を評価することが非常に重要となります。
通常、触媒インク中の白金担持カーボンの粒子径を測定するには、触媒インクを希釈する必要があります。ところが実際の触媒インク中は高濃度状態にあるため、測定は非常に難しく、課題として立ちはだかっていました。実際に複数の粒子径分析装置メーカーに問い合わせをしましたが、どのメーカーも「できない」、「希釈をすれば見える」といった回答でした。そのなかで「(希釈をしない)原液の状態で粒子径を分析できる」と回答してくれた唯一のメーカーがHORIBAでした。
すぐに分析を依頼したところ、測定結果は私たちの予想に近いものとなりました。何十枚の凍結TEM※3像や光学顕微鏡などで観察した結果と一致した際には、「来た!」と興奮しました。触媒インク中の粒径分布を原液で観察できた研究者は世界にまだ一人もいなかったので、世界初の成功となりました。従来の希釈した測定では、結果が原液と異なっているということもわかりました。この測定に高濃度のまま測定できるHORIBAのセル※4が役立ちました。もしHORIBAが提案してくれた高濃度での分析手法がなければ、その違った結果を信じて、研究を進めていたかもしれません。
従来、燃料電池の触媒層に用いられる材料と性能の相関評価は、さまざまな材料を用いて燃料電池を作製し、実際に発電性能を評価するトライ&エラーを繰り返すしかなく、莫大な時間とコストがかかっていました。
また、電子顕微鏡を用いることで触媒インクのナノスケール構造は観察できますが、電子顕微鏡では局所的な情報しか得られないこと、電子線による高分子材料へのダメージがあることから、触媒インクの分散構造を詳細に理解することは困難でした。
私たちの研究の着眼点は、さまざまな材料を用いて調製する触媒インクの分散状態から触媒層の構造を予測できるという点です。これまでは発電性能まで評価する必要があった膨大な実験数を『触媒インクの分散状態から触媒層構造を予測する』ことで大幅に減らせると期待しています。
触媒インクは非ニュートン流体※5であり、強いせん断力がかかると凝集構造が変化することが分かっています。触媒インクの塗布は、「細い部分(スリット)から触媒インクを押し出す」方法を用いているので触媒インクには強いせん断力がかかり、凝集状態が変化します。そのため、せん断力がかかった状態で粒子径がどのように変化するのかを理解したいと考えています。また押し出された後の乾燥工程も良質な触媒層の大量生産に向けては重要なプロセスとなります。
モデルベース開発が期待されるなかで、材料の物性から触媒層の構造・発電性能をシミュレーションで予測したいという要望が自動車業界から強くあります。しかし、触媒インクからの触媒層構造形成現象はまだ十分に理解されていないため、このようなシミュレーションの報告はまだ限られています。また、触媒インクに関する実験結果も少なく、シミュレーション結果の妥当性も確かめられていませんでした。実験を通して触媒インクの粒径分布と触媒層構造の相関を理解することで、より信頼性の高いシミュレーション開発にも役立つと期待しています。
HORIBAの粒子径分布測定装置との出会いにより、触媒層をつくるための触媒インク(スラリー)中の白金担持カーボンの粒径分布を確認することができました。この研究結果の学会発表では触媒インク原液で「測れる」ということが世界初であったため、他の研究者からも『うちのインクでも測れるか?』との声掛けが多数あり、関心の高さを実感しました。
私たちの研究自体、HORIBAの技術がなければ、触媒インクの分散状態がわからず,別の実験で触媒インクの理解を深めざるを得なかったと思います。今回のデータにより、これまで計測できなかった触媒インクの粒径分布が明らかになり、研究のアプローチが大きく変わりました。
今後は、さらに研究を発展させて、利用する材料の物性から触媒インクの分散状態を予測できるようにしたいと考えています。触媒インクの分散状態が触媒層構造に大きく影響する事は明らかになりましたが、利用する材料の物性から触媒インクの分散状態を予測することはまだハードルが高いです。例えば『カーボンの濡れ性を変えると、高分子・溶媒との相互作用がこのように変化します。そこで、このような濡れ性を持つ材料であれば触媒インクがより分散するから触媒層構造はこのようになり、より高性能な燃料電池になりますよ』という予測・提案をできるようにしたいです。
私は機械系の人間なので、『モノづくりに貢献したい』という気持ちが強くあります。機械系の強みの一つはモノづくりの現場に近いことです。モノづくりにおいては『何を作れば良いのか』・『効率とコストはどうあるべきなのか』を論理的に理解する必要があります。トライ&エラーとノウハウが必要とされてきたモノづくりの現場において、私たちの研究は一つひとつの製造プロセスの理解と改善に繋がると考えています。特に、燃料電池においては、触媒層の高性能化が強く求められている一方で、その製造プロセスは十分に理解されていません。燃料電池の本格普及に向けて、私たちの研究が貢献できる点も多くありますので、これからも努力していきます。
また、触媒インクは、従来の高分子化学では『汚い系』と言われまだ十分に理解されていません。そのため『このような多成分系において分散がどのようなメカニズムで支配されているのか』は新しい学問分野になります。そうした新しい分野を研究者の一人として立ち上げていきたい思いもあります。
(インタビュー実施:2021年10月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。
※1 クリーンエネルギー:方法によっては水素の製造過程においてCO2を排出してしまう課題があり、再生エネルギーを利用した水素製造技術などの開発が進んでいる。
※2 反応場:ここでは燃料電池の酸素極において,水素イオンと酸素と電子による電気化学反応が起きる場所を指す。
※3 TEM:透過型電子顕微鏡(TEM : Transmission Electron Microscope)
※4 セル:高濃度低粘度セルユニット
※5 非ニュートン流体:流れのせん断応力と速度勾配が比例関係にない粘性をもつ流体
燃料電池は「水素」と「酸素」を化学反応から「電気」を発電させます。
発電のしくみ
外部から供給された水素分子(H2)が、マイナス電極内の触媒に吸着され水素原子(H-H)になります。この水素原子は活性の性質をもっており、水素イオン(2H+)となって2個の電子(2e-)を電極へ送り出します。この電子は外部回路を通って反対側のプラスの電極に電流として流れます。
プラスの電極では、外部から供給された酸素分子(O2)が外部回路から戻ってきた電子を受け取って酸素イオン(O2-)になります。マイナスの電極で電子を取られてプラスの電荷を帯びた水素イオン(2H+)は、電解質を伝ってプラスの電極に移動します。この水素イオンがマイナスの電荷を帯びた酸素イオンと結合して水(H2O)になります。
燃料電池の基本構成
「電池」という名前はついていますが、蓄電池のように充電した電気を溜めておくものではありません。燃料電池の構成単位をセル(単電池ともいいます)といいます。セルは平たい乾電池のようにプラスの電極板(空気極)とマイナスの電極板(燃料極)が固体高分子膜(電解質膜)をはさんだ構造をしています。空気極と燃料極には数多くの細い溝が掘られていて、ここに外部から供給された酸素と水素が通ることにより反応が起こります。水素は電解質膜と接する面まで入り込んで、電子を遊離して水素イオンとなり、電子は外に出て行きます。電解質膜中を移動した水素イオンは、反対側の電極に送られた酸素と外部から電線を通じて戻ってきた電子と反応して水になります。電子が電線を移動する(流れる)ことは、電気を発生することになります。
出展:http://fccj.jp/jp/aboutfuelcell.html (燃料電池実用化推進協議会)