人体に悪影響を与える環境汚染物質を突き止める

京都先端科学大学 国際学術研究院 高野 裕久(たかの ひろひさ)特任教授・共生健康科学研究機構長
京都大学 名誉教授 
京都府立医科大学 客員教授




肉眼では決して見えない小さな粒子状物質(Particulate Matter)が、注目されています。その典型がいわゆるPM2.5、直径わずか2.5マイクロメートル以下と髪の毛の太さの約30分の1といった小さな粒子です。そのような小さな粒子ですが、空気中を浮遊するPM2.5が肺から取り込まれると、健康にさまざまな悪影響を及ぼしかねません。さらに、近年健康ダメージが懸念され始めているのが、マイクロプラスチック※1です。これら環境汚染物質の人体への影響の解明に挑まれている、京都先端科学大学 国際学術研究院 高野 裕久 特任教授・共生健康科学研究機構長に、最新の研究成果についてお話を伺いました。

Episode1:マイクロプラスチックがもたらす健康へのダメージ

マイクロプラスチックが生物に与える影響は、すでに海中で暮らす生物において実証されており、食物連鎖を通じて汚染された生物を人が摂取した場合の影響も懸念されています。マウスレベルの実験では、マイクロプラスチックを食べさせると脂肪肝や糖尿病が悪化するという事実が明らかになっています。とはいえ、実験でマウスに摂取させたマイクロプラスチックは、人が曝露されるレベルに比べるとかなり大量であり、直ちにマイクロプラスチックが人の健康に大きなダメージを及ぼすとまではいえません。

私たちの研究では、顕微ラマン分光測定装置を使ってマイクロプラスチックがマウスの体内のどこまで入っているのかを調べることが可能になりました。そして、マイクロプラスチックが腸内でどのように作用しているのか。これまでの研究を通してわかってきたこととして、マイクロプラスチックは必ずしも体内に吸収される必要はなく、おそらく腸内環境に何らかのダメージを与えて影響をもたらしていると考えられるようになっています。例えば、腸壁を薄くしてバリア機能を衰えさせれば、悪玉の栄養素やさまざまな有害物質が体内に取り込まれやすくなり、食物アレルギーや脂肪肝の悪化や、免疫系に作用して炎症反応を引き起こすリスクも考えられます。さらに、腸内細菌叢への悪影響も否定できません。疫学的には、それほど太っていない人でも脂肪肝が増えているとの報告もあります。カップラーメンやいわゆるコンビニ食を多く摂ると、脂肪肝や糖尿病が増えるのではないかというリスクも指摘されています。それらの容器からもしかするとマイクロプラスチックや化学物質等が出ているために、健康を脅かしているのではないか、という可能性が疑われています。食品そのものとともに、デイスポーザブルの容器に含まれている物質も人体に取り込まれている可能性があり、これらの健康影響についても今後注意を向けていく必要があると考えています。
マイクロプラスチックといえば以前から、ティーバッグにも含まれていて、お湯を注ぐとそれが放出されると指摘されていました。最近(2024年11月)には、スペインの研究チームによりティーバッグに含まれるマイクロプラスチックが体内に取り込まれるリスクを指摘する論文が発表されています※2

Episode2:研究の成果がディーゼルエンジンの排気ガスをきれいにするきっかけに


昔はディーゼルトラックのマフラーから、いかにも体に悪そうな真っ黒な排気ガスがもくもくと吐き出されていました。しかし今では、そんなトラックはほとんど見かけなくなりました。自動車メーカーはディーゼルエンジンを改良し、ばい煙を出さない技術革新に挑んできましたが、実はその動きの発端となったのは、私が研究者として最初に手掛けた研究の成果でした。 
私はもともと内科の臨床医で、酸化ストレスと急性肺障害の関係について研究を行っていました。これが国立環境研究所の先生の目に留まり、本格的に研究者の道へと誘っていただきました。研究所に移って最初に手掛けたのは、ディーゼルエンジン自動車の排気ガスに含まれる微粒子が人体に与えるダメージについての研究です。研究を進めた結果、ディーゼルエンジンからの排気中の微粒子が喘息を悪化させる事実を、実験的に世界で初めて証明しました。その成果をまとめた1997年の論文※3が、アメリカ呼吸器学会の学術誌に掲載されました。これが巡り巡って日本にも影響を及ぼし、石原都知事によるディーゼル規制※4へとつながったのかもしれないのです。各メーカーが規制に対応した結果、今ではディーゼルエンジン車の排気ガスは、以前と比較してかなりクリーンなものとなっていると思います。新たな技術による健康影響を明らかにすれば、より健康影響の少ないさらなる技術革新へと進展させることができるという、良い例だと思います。
 

Episode3:複数の化学物質が及ぼす影響を突き止める!

その後も研究を続けるうちに、喘息以外のアレルギー疾患や生活習慣病などの増加や悪化には、環境要因も絡んでいると考えるようになりました。具体的にはプラスチックに含まれる可塑剤や難燃剤など、複数の環境汚染物質に注目しました。ポイントは「複数」の物質・要因が体に入ることにあります。それまで環境汚染物質といえば、例えば水俣病のメチル水銀のように強い毒性を持つ単一の物質が体にダメージを与えると捉えられていました。けれども実際には、単独ではそれほど強い毒性を持たなくても、アレルゲンや高脂肪食など、他の物質や要因による健康影響や疾患を増加・悪化させる化学物質がいくつもあるのではないかと考えたのです。そこで研究を進めた結果、2000年にフタル酸ジヘキシルがアトピー性皮膚炎の悪化させることを突き止めました。これはいわゆる環境ホルモン物質であり、低濃度でも人体に悪影響を与えていたのです。一方、Persistent Organic Pollutants (POPs)に含まれる化学物質が、高脂肪食による脂肪肝や糖尿病を悪化させることも明らかにしました。

Episode4:細胞内まで見極めるラマン分光法を活用

環境汚染物質の中で粒子状物質と化学物質は非常に重要です。粒子状物質は、それを構成する成分が異なり、一様ではありません。例えば、PM2.5なども、微粒子に何らかの化学物質や生物成分が付着した状態で体内に取り込まれ、ダメージをもたらします。そこで見極めたいのは、分子レベルでの粒子や化学物質の動きです。体内に取り込まれた粒子や化学物質が、どこで、どのようにして体に悪影響を与えているのか、また細胞からさらに踏み込んで、核内での遺伝子情報への影響までを突き止めたいと思っています。
粒子や化学物質の体内や細胞内での局在状況についてきめ細かな観察を徹底して行うために、顕微ラマン分光測定装置を活用しています。細胞1個レベルで、取り込まれた粒子や化学物質が引き起こす遺伝子発現の変化を見極めます。従来のX線を用いた分析では元素の特定はできますが、分子の特定は困難です。その点、ラマン分光装置なら、何かを見つければ数万レベルのリファレンスを参照できるので、何の分子かを特定できます。ただし、最初からラマン分光装置だけで完結させるのも難しく、工夫が必要でした。組織標本中の粒子状物質などの異物の局在は、暗視野顕微鏡で見当をつけることが可能です。そのため、まず暗視野顕微鏡などを使って、大まかに当たりをつけておくのです。これにより、ラマン顕微鏡による観察効率が良くなり、精度も高まりました。
 

マウス肺組織切片を病理染色し、暗視野顕微鏡などで観察した後、脱色して黄色で囲ったエリアを顕微ラマン分光測定装置で観察した。酸化チタンが肺胞壁に隣接して検出された(参照:ラマンCLSイメージ※5、ピンク色:酸化チタン、緑色:肺組織)。

例えば黄砂は、さまざまな大気汚染物質などを吸着し、体内に取り込まれると有害な影響をもたらします。しかし光学顕微鏡で細胞を観察しても、肺内や細胞内のどこに黄砂があるのかはわかりません。その点、ラマン分光装置を使えば、肺のみならず、リンパ節に移行している黄砂成分なども正確に見極められます。さらに免疫染色※6を使えば、黄砂の周囲で炎症をきたすあるたんぱく質が出ている状況も確認できます。まさに細胞内で起きている生体影響と粒子成分の位置的な関係をラマン分光装置は克明に見せてくれるのです。

Episode5:環境分析用に導入されたラマン分光装置を生体試料に活用

顕微ラマン分光測定装置 LabRAM Odyssey

ラマン分光装置と出会ったのは、約10年前になるかと思います。当時所属していた京都大学工学研究科で設備の導入があり、その際にラマン分光装置も設置されました。ただ専攻が環境工学分野だったため、当初の導入目的は主に環境分析用でした。
とはいえせっかく導入した最新鋭の装置なので、私が扱っていた生体試料にも活用できないものかと考えたのです。ラマン分光装置を使う場合、問題となるのがバックグラウンドです。生体組織に用いる染色剤の色がついていると、ラマン分光装置では観察が難しいのです。そこで研究室の一人が「脱色をした後に観察してはどうか」とアイデアを出してくれました。たしかに脱色すれば、ラマン分光装置を使ってさまざまな物質を観察できます。これにより、一気に研究の視野が広がりました。

その成果の一例を挙げれば、PM2.5の解析があります。PM2.5には多様な化学物質が付着しており、これが体内に取り込まれると、さまざまな反応を引き起こします。例えば、炎症を起こすたんぱく質が出ている場所に付着しているPM2.5を観察すると、炭素成分が多く含まれていることがわかりました。また、ある種のストレス反応が起きている場所では、炭素成分に加えて鉄分も確認されました。ひとくちにPM2.5といっても、含まれる成分によって生体応答が異なってくるのです。PM2.5については、一般的に炎症を起こすタイプが多いと考えられていますが、酸化ストレスを引き起こすタイプもあります。
今後の研究課題として考えているのは、さまざまな粒子や化学物質の相関関係と、それらの相加・相乗効果がもたらす人体へのダメージです。これを観察するためにも、ラマン分光装置が非常に重要であると考えています。

Episode6:健やかな生活のためにできること

環境要因は、あまり注目されていませんが、人の健康を保つうえで極めて重要な要因です。しかし、マイクロプラスチックを含め、環境要因がもたらす影響に関心を持つ研究者が日本には少ない状況です。環境は地球の未来を考えるうえで欠かせない要素です。すでに現時点でどの程度、環境がダメージを受けているのでしょうか。私の人生を振り返ってみても、かつてはトンボやメダカなど、ごく身近な存在でした。けれども、今ではそうした生き物をほとんど見かけなくなりました。それほど環境は悪化しているのです。こうした生物たちに起こっている現象は、いずれ必ず人間に対しても起こり得るはずです。だからこそ、環境要因の重要性を理解し、興味を持って研究に取り組む若い人を一人でも増やしたい。そういう思いで京都大学在籍時には高校と大学が連携した授業も担当していました。受講してくれた高校生の中には、京大に入って研究室に来てくれた若者もいます。このような若者を増やしたいのです。
一方で、私自身の経験も踏まえて臨床医の方々にも、もっと研究に取り組んでほしいと思います。病気を治すために努力することはもちろん重要です。けれども、それと同時にいかに病気を防ぐのかと考え、そのために行動する必要もあります。生活習慣病やアレルギーなどは、環境と医学の両面からの対策により制圧できるのです。

体を悪くするものはできる限り減らす。
体を悪くするものを徹底的にたたく。

いずれも一人では解決できない問題であるので、若い研究者が一人でも多く続いてくれることを期待しています。

 

 

(インタビュー実施日:2024年12月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。

注釈

※1:マイクロプラスチック:プラスチック製品やプラスチックごみなどが、紫外線や海洋の波などにより5mm以下まで細かくなったもの。

※2:『Teabag-derived micro/nanoplastics (true-to-life MNPLs) as a surrogate for real-life exposure scenarios』

※3:『ディーゼル排気微粒子はアレルゲンによる好酸球性気道炎症とサイトカイン発現を修飾する』(「炎症19(1)」掲載、1999)

※4:1999年8月、石原都知事が宣言した「ディーゼル車NO作戦」

※5:CLS(Classical Least Squares、古典的最小二乗法)
   誤差の二乗和を最小にすることで、数学的に正しい回帰直線を求める手法。CLSイメージはこのCLS法を用いて多成分からある成分を分離し、その成分分布をマッピングしています。

※6:免疫染色:抗体を用いて組織や細胞内の抗原を検出する手法。抗原と抗体の結合反応を可視化して、特定の物質を検出できる。

Profile:

高野 裕久(たかの ひろひさ)
京都府立医科大学卒、博士(医学)。国立環境研究所主任研究員、同研究所領域長を経て、2011年より京都大学工学研究科教授。京都大学地球環境学堂環境健康科学論分野教授を経て、2023年京都大学名誉教授、2024年より現職。
 

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