大阪府立大学 大学院工学研究科 林 晃敏(はやし あきとし)教授
空を飛ぶクルマが街を行きかう、そんな未来像が現実になろうとしているなか、軽くて小さな電池の開発が求められています。2019年ノーベル化学賞を吉野彰先生が受賞されたことで、より広く世に知られることとなったリチウムイオン電池から、さらに電池性能、安全性、充電速度に優れる点で全固体リチウム電池のニーズが高まっています。全固体リチウム電池の普及をめざし、安定的かつ効率よく電池を作動させるための固体電解質についてご研究されている大阪府立大学 大学院工学研究科 林 晃敏 教授 にお話を伺いました。
私が現在所属している無機化学研究グループは、私の恩師である南 努 先生(元大阪府立大学学長)の研究室を引き継いでいます。学生だった私が南研究室に配属になったことが電池材料との出会いでした。南研究室の研究テーマの一つに、電気が流れるイオン伝導性ガラスというテーマがあり、南先生と辰巳砂 昌弘 先生(現大阪府立大学学長)が銀イオン伝導ガラスを研究されていました。この銀イオン伝導ガラスは銀イオンをたくさん含ませると電気を流すことができ、材料として非常に面白い特性を持っていましたが、銀だと0.6ボルト程度の電池しか作れないことから、電池としては魅力がありませんでした。
その頃、有機電解液を使用した4V級リチウムイオン電池が1991年にソニーによって実用化され、小型・軽量でエネルギー密度の大きな二次電池として、世の中に広がりつつありました。そうしたなか、松下電池工業※1の近藤 繁雄 博士、高田 和典 博士(現在は、国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)ご在籍)が硫化物ガラス電解質を用いた全固体リチウム電池の研究をされており、リチウムイオンが動きやすいガラスの構造を調べたいということで共同研究がスタートしました。私たちの研究室では、組成によって電気伝導度が変化する原因をガラス構造の観点から明らかにするような、企業だけではなかなかできない基礎研究の部分を担いました。松下電池工業で進められていた全固体電池の性能は素晴らしいものがありましたが、残念ながら当時は実用化には至りませんでした。
※1 松下電池工業(㈱):現パナソニック株式会社 エナジー社
エレクトロニクスが発展するなか、学問として固体イオニクスが研究されてきたものの、固体のなかで大きなサイズのイオンが動くのは、通常は難しいと考えられています。研究室に配属された頃の私は、材料の一つの機能としてイオンが流れる材料をガラスで実現できることに面白さを感じていました。目的の性能が発現したのはなぜなのかをじっくり考えながら、イオンが動きやすい構造や組成、それを作るためのプロセスなどを調べていくことに興味を覚えました。
セラミック・無機材料には一般的に大気中の化学安定性が高い酸化物が使われています。硫化物は合成しにくく、大気にさらすと加水分解されて硫化水素が発生することから、扱いが難しい材料です。ただ1980年頃には、硫化物の材料は酸化物と比較して、リチウムイオンが移動しやすいということが固体イオニクスの分野では知られていたので、固体電解質の材料に硫化物のガラスが使えないかと研究に取り組みました。
リチウムイオン伝導体のなかでは、リチウムイオンはプラスの電荷を持つので、その骨格を形成している物質はマイナスの電荷を帯びています。酸化物イオンは周期表のなかでも電気陰性度が大きく、リチウムイオンとの静電相互作用が大きいために、ガラスのイオン伝導体では一般的にリチウムイオンが動きにくい材料になります。
一方、硫化物イオンはそのサイズが酸化物イオンよりも大きいために、マイナスの電荷が分散・非局在化して、リチウムイオンとの静電相互作用が弱まります。つまり、硫化物のほうがリチウムイオンを伝導しやすいということから、硫化物をベースとするガラス電解質を作ることに取り組みました。
ガラス材料は、いったん融液にしたものを冷やしてガラス化しますが、リチウムイオンを多く含む組成では、冷やす過程でガラス化が難しくなる傾向があります。そこで硫化物ガラスを作る方法としてメカノケミカル法を適用しました。メカノケミカル法とは、出発原料粉末の混合物に対して機械的エネルギーを加えることによって化学反応させる方法です。私たちの研究グループでは、20世紀の終わり頃からリチウムイオン伝導性の硫化物ガラスを作る方法としてこの手法を活用してきました。
Li3PS4(LPS)と呼ばれるリチウムイオンとチオリン酸イオンからなるガラス電解質は、全固体電池を組み立てる際の標準的な硫化物電解質として現在世界中で利用されており、このガラスをメカノケミカル法で合成した成果を最初に論文で発表したのが2001年でした。ガラス電解質では、リチウムイオンの割合を増やすにつれて電気伝導度は上がっていきますが、一般的に用いられている溶融急冷法ではリチウムを高濃度に含む組成であるLi3PS4ガラスを合成することができなかったため、メカノケミカル法によってガラスが作れるようになったのは画期的な一歩だったと考えています。
メカノケミカル法で合成したガラスが、目的の組成に対応する構造をとっているかどうかを調べるためにラマン分光装置を活用しています。結晶材料の場合にはX線回折で構造同定が可能ですが、ガラスのような非晶質(アモルファス)材料では、明瞭な回折線がみられない、いわゆるハローパターンを示すことから構造を同定することが難しいです。
例えばナトリウムイオン伝導性をもつNa2S-P2S5系ガラスは、Na2Sの割合が増えるにつれて、チオリン酸の構造単位が変化します。ラマンスペクトルではNa2Sが75 mol%の組成に相当するNa3PS4ガラスでは、PS43-アニオンに帰属できる420cm-1付近にのみピークが見られており、構造の判別が容易なことから、硫化物ガラスの構造解析には必須の分析手法となっています。
ガラスの研究者は赤外吸収、ラマン散乱、固体NMRなどを使用してガラスの局所的な構造を分析しますが、ラマン分光法はレーザー光を粉体試料に照射するだけで簡便に測定できることが利点として挙げられます。固体 NMRでは、目的の核種周りの個別の構造情報を得る上では有用ですが、ラマン分光ではさまざまな核種由来の構造単位を同時に測定できるため、ガラス構造を構成している構造単位を大まかに調べる際にはうってつけの分光手法といえます。
以前使用していたラマン装置では蛍光の影響で目的のラマンピークが隠れてしまうことがありました。そこでHORIBAの営業担当 三浦さんに相談したところ、「紫外レーザーで測定すれば見えるかもしれない」とのことで、測定を依頼しました。するとうまく測定できて、欲しいデータ結果が得られたことから、HORIBAのラマン分光分析装置はとても有用だと判断して導入することにしました。装置を選択する基準として、目的のデータが得られるかどうかが重要ですし、サービス面でもトラブルの時すぐに対応してもらえるという信頼関係において、HORIBAの装置に決めました。
またHORIBAのラマン分光分析装置は顕微鏡でレーザーを絞って測定できる点が有効でした。電極層は活物質の粒子だけでなく、イオンや電子の伝導経路を確保するために固体電解質やカーボン助剤などを混合した複合体になっていて、それぞれの粒子が数ミクロン以上の粒子径をもっています。電極活物質は、充電時にリチウムイオンを取り込み、放電時には放出しますが、充放電によって電極活物質周りに存在する固体電解質が分解や変質する可能性があります。そのため電池の劣化解析を行うためには、充放電させた後の固体電解質や電極活物質の構造が変化しているかどうかを調べることが重要であり、両者の界面部分にレーザーを絞ってラマン分光することが重要になります。
現在では、日本のサプライヤーが硫化物電解質を供給できる体制ができつつあり、この点は日本の強みです。一方、硫化水素が発生するという点から、安全性が課題としてあります。そして、全固体電池の内部で、活物質と電解質の界面で剥がれなどが生じると電池の特性が低下することが想定されます。このような固体界面を形成、維持するための電池材料の機械的な性質に関する評価が十分ではなく、今後検討していく必要があります。また電気伝導度に加えて、大気安定性や機械的性質、電気化学的安定性などのさまざまな必要要件に対して、バランスの取れた固体電解質を開発していくことも今後の課題です。
イオン伝導性を示す硫化物電解質を探索し、それを用いた全固体電池の性能評価を行うようになってから約20年が経ち、全固体電池に対する世の中の見る眼も変わってきました。脱炭素社会の実現に向け、再生可能エネルギーを貯めるという意味での蓄電池への要請が以前に増して高まっています。
今後は資源的観点から、ナトリウムや硫黄、鉄などのユビキタス元素をうまく利用した電池材料を持続的に研究し、蓄電池として実用化していく必要があると考えています。電力は生活の礎です。今後はそれを自然エネルギーで賄う必要がありますが、自然エネルギーは気まぐれなので蓄電池は必須のデバイスになりますし、用途に応じてさまざまな特性を持った蓄電池が必要になっていくと考えています。
私たちの研究グループでは、2010年頃からリチウムイオン伝導体に代わる材料として、ナトリウムイオンが伝導する硫化物電解質の研究を開始しました。ナトリウムイオンの方がリチウムイオンよりも電荷密度が低いため周辺との静電相互作用が小さくなり、速い伝導が可能であることがわかってきました。2019年に私たちが発表したナトリウムイオン伝導性の硫化物電解質は、リチウムイオン伝導性硫化物電解質よりも高いイオン伝導度を持つことを実験的に示しました。すでにナトリウムイオンを伝導種とするナトリウムー硫黄電池が実用化されていますが、300℃という高温で動作させるため用途が限定されているのが課題です。将来的に室温で作動する全固体ナトリウム硫黄電池が実現すれば、安全・安価でエネルギー密度の大きな家庭用定置電源としての普及が期待されます。ナトリウムイオンを伝導種とする電池は、資源に乏しい日本でこそ開発すべき電池であるとの信念を持って、今後も研究を続けていきたいです。
電池に関わる研究者として、現在研究している全固体電池が実用化されることが一つの区切りになりますが、その後も企業と連携しながら、より一層の性能向上を求めて材料探索や電池プロセスの研究を継続的に進めていく必要があると考えています。そうした意志を次世代に繋ぐ研究人材を育てることも私たち大学の使命の一つと捉えています。全固体電池の分野で日本が世界をリードする、そうした未来へ少しでも貢献できればという想いをもって、研究グループのメンバーと研究開発に取り組んでいます。
(インタビュー実施:2021年10月)
※掲載内容および文中記載の組織、所属、役職などの名称はすべてインタビュー実施時点のものになります。
林 晃敏 (はやし あきとし)
大阪府立大学 大学院工学研究科 物質・化学系専攻 応用化学分野 教授
(学歴・職歴)
大阪府立大学 大学院工学研究科 博士後期課程 物質系専攻 修了後
日本学術振興会研究員を経て、2003年4月より大阪府立大学 大学院工学研究科 に所属2017年4月より現職
(専門分野)
無機材料化学。特に、ガラスをベースとするイオン伝導体の開発とそれを応用した全固体リチウム電池および全固体ナトリウムの開発
(受賞歴)
2005年 第15回固体イオニクス国際学会にて Young Scientist Award 受賞
2006年 日本セラミックス協会進歩賞 受賞
2007年 国際ガラス委員会より The Woldemar A. Weyl International Glass Science Award(ワイル国際ガラス科学者賞) 受賞
2007年 電気化学会電池技術委員会より電池技術委員会賞 受賞
2010年 平成22年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞 受賞
2017年 米国セラミックス協会フルラス賞 受賞
2019年 日本セラミックス協会学術賞 受賞
2021年 日本化学会学術賞 受賞
電池の仕組みは、主に「電極」「活物質」「電解質」で構成されています。活物質や活物質に含まれるイオンが「電解質」というプールのなかを泳ぐことで電極間(負極から正極の間)に電子を通し電気を発生させています。リチウムイオン電池を含むこれまでの電池は液体の電解質が用いられていました。電解質を固体にした仕組みの電池を全固体電池と呼びます。電池を構成する電解質は「イオンが素早く動き回れるような特性」を持っていなければならず、より効率よく発電し、長持ちする電池を開発するうえで、重要な構成要素になります。