さまざまなカーボン材料が、ハイテクからローテクまで広い範囲の工業製品に利用されています。磨耗コートとしての炭素フィルム、材料強度を高める複合材料としての炭素繊維、マイクロエレクトロニクスへのナノマテリアル応用の研究で注目されているナノチューブやグラフェン、その他カーボン材料は宇宙船から運動器具まで広く使われています。[ 1 ]
非破壊・非接触で1 μm以上の高い空間分解能で測定できるラマン分光は、これらのカーボン材料評価の基礎研究のみならず、製品開発や品質管理に利用されています。ダイヤモンドやグラファイトといったカーボンの多様な同素体のラマンスペクトルは、固体物理学において非常に詳しく研究されています。
ダイヤモンドは単位胞(unit cell:結晶の周期性の最小単位)に2個の炭素原子が存在する構造をしています。C-C結合はsp3-混成軌道による正四面体を形成して、ダイヤモンド構造(Diamondcubi c)をしています。そのダイヤモンドのフォノン波数(ラマンバンド)は1332 cm-1です。グラファイトでは、炭素原子のsp2-結合による形成される平面(グラフェンシート)が積み重なった構造をしています。この平面内で、二つの二重に生成するラマン活性モード(E2g)は1582 cm-1と42 cm-1にラマンバンドを持ちます。前者はGモードとして知られています。低波数のモードはグラフェンシート平面間のシェアモードで、50 cm-1以下の低波数領域を測定できる装置で観測することができます。グラファイトを細かくすりつぶすと、1280 cm-1から1400 cm-1の領域にDモード(disorder mode)が現れ[2,3]、その波数は励起波長によって変化します。
カーボンの典型的なスペクトルをFigure 1に示します。炭素原子のsp2-結合によるDバンドとGバンドは、カーボンの結晶状態の違いによって変化している様子がわかります。
Figure 1 Raman spectra of diamond(D), graphite(G), microcrystalline graphite(μG), diamond like overcoat (DC), and graphite like overcoat(GC)
単層のグラファイトであるグラフェン、および数層重なったグラフェンのラマンスペクトルもまた研究されています[4]。典型的な単層のグラフェンと多層グ ラフェンのスペクトルをFigure 2に示します。単層のグラフェンの2700 cm-1の近くにある2Dバンドは、そのGバンドに対して数倍の強度があります。5層程度まで、層数が増えるにつれて2Dバンドに対するGバンドの強度は強くなります。これを使って、ラマンスペクトルからグラフェ ンの層数を決めることができます。
Figure 2 Raman spectra of single layer and multi-layer graphene
Figure 3にグラフェン断片のマッピングデータから自動的に抽出されたグラフェンのスペクトルを示す。Gバンドと2Dバンドに対する比は、1層から4層まで増加し ている様子がわかります。
Figure 3 Ruman mapping of a graphene fragment (A)Raman imaging: The blue rectangle in video image(left)is the mapping area. Intensity distributions of 2D(red)and G(green)bands and the overlay image of two are shown in Raman images(right). Multi-colored image is score image of extracted spectra of(B)by multivariate analysis. Colors of the images are red(m1), green(m2), blue(m3), purple(m4 ), yellow(m5)and cyan(m6).(B)Loading spectrum extracted by multivariate analysis.
ダイヤモンドは、sp3混成軌道を持った炭素の結合を無数に延長することで得られる物質です。ダイヤモンドは自然界で最も硬い物質の一つですが、実際は準安定形態であり、高圧・高温溶融物から析出します。ダイヤモンドは、以下の特性を持ちます。
このような特性により、ダイヤモンドを利用した設計材料は関心を集めています。ダイヤモンド繊維(グラファイト繊維も同様)は、補強のために金属または高分子複合材に使用されます。これらの炭素材料は、高い熱伝導性と耐熱性を有し、レーザーダイオードなどの高出力マイクロデバイスやオプトエレクトロニクスデバイスから発生する熱を散逸するヒートシンク基板材に理想的です。また、窒素、ホウ素またはリンをドープしたダイヤモンドは、高速電子移動性やその制御性能からトランジスタなどの電子デバイスに最適な半導体材料と言えます。ダイヤモンドは、UV波長範囲で高い反射率を有するため、将来、UV光学機器(回折格子、ミラー)を実現するために使用することができると考えられます。しかし、ダイヤモンドを成長させる唯一の方法が、高温・高圧を必要とするため、ダイヤモンドは多くの用途に対して経済的な課題を抱えています。
ここ10年にわたり、CVD(化学気相成長)反応器中で、よりおだやかな条件下でダイヤモンド膜を成長させることができることを、多くの研究者が実証してきました。しかし、ダイヤモンドは熱力学的に安定な相でないため、ダイヤモンドの堆積に付随してsp2結合炭素が生じることが知られています。ラマン分光法は、そのごくわずかな量のsp2炭素も高感度に検出できるため、その膜の研究に用いられています。
ラマン分光法は、CVD膜中のダイヤモンドの存在を示すことに加え、得られたラマンバンドの強度や波数によってダイヤモンドの様々な物性を調べることができます。単結晶ダイヤモンドでは1332cm-1 にラマンバンドが現れます。その膜に圧縮応力や引張応力を加えると、ダイヤモンドのラマンバンドはそれぞれ高周波数側と低周波数側にシフトします。このような膜では、バンドの半値幅が試料の不均一性に起因して広がることがあります。ラマン分光法を用いると、以下の品質指数からダイヤモンド膜の特性評価を行うことができます。
Figure4は、非ダイヤモンド炭素を含有するダイヤモンド膜の典型的なラマンスペクトルです。このスペクトルは、様々な成分の寄与を定量化するために、バンドフィッティングを施し、得ています。YarbroughとRoyは、ダイヤモンドの堆積にとって厳しいCVD条件下では新しい相が現れることを示唆しています(MRS 1988 Symposium, Diamomond and Diamond-like Material Synthesis. Ed. Johnson, et. ak., pp-33-38)。この論文中のXRD(X線回折)の結果は、「ナノ結晶ダイヤモンド」の存在を示していますが、ラマンスペクトルは、他の炭素で見出されているいかなるものとも異なっています。これらの材料から得られたラマンスペクトルから、1140 cm-1と1450cm-1に半値幅の広い新たなバンドが現れていることが報告されています。
Figure 4.
ラマンスペクトルを調べることで、炭素秩序と配向を定量化することができます。ピッチおよびPAN(ポリアクリロニトル)から製造された「炭素繊維」のスペクトルは、長距離秩序の違いだけでなく、繊維中のグラファイトの配向と関連したラマン信号強度の偏光依存性を示します(Adar and Noether, in Microbeam Analysis – 1983, 269-273)。
「硬質炭素膜」は、コンピュータ産業におけるハードディスクの製造や磁気ヘッドに一般に使用されています。CVD装置のパラメーターを操作することにより、膜の物理特性とトライポロジー特性とラマンスペクトルが相関していたことから(J. Ager, IEE, Trans Magn, 1992)、膜の特性の迅速な確認法としてラマンスペクトルが使用されます。このような硬質膜は、切削工具や外科手術用メスの摩擦特性の改善や、医療用インプラントを不動態化するために使用されます。
Figure 5aおよび5bは、それぞれ、欠陥の種類の違いによって、2つのバンドと3つのバンドによってフィッティングした各炭素膜からのラマンスペクトルを示しています。Figure 5bに示すスペクトル特徴を持った膜は、Dバンドと第二の欠陥バンド(1500 cm-1)を有していることから、種類の異なる格子欠陥を有していることがわかります。
Figure 5.
60原子および70原子の炭素のクラスターが自然界に存在する可能性があるという理論的提言から理論研究が先行した後、実験研究において煤からフラーレンが単離されました(Kroto, et, al,. Nature 318, 162, 1985)。炭素で構成される6員環をつなげることでボール、チューブおよびカプセルを表現することができ、その内、いくつかについてはラマンスペクトルを得ることができます(Bethune et al., Chem. Phys. Lett, 174, 219, 1990)。他の形態の炭素ではラマンスペクトルの指紋領域(100-1800 cm-1)に最大で3つのバンドが含まれ、そのうちの一部は半値幅が太い場合がありますが、これとは対照的に、上記の材料のラマンスペクトルには、非常に鋭いバンドが多数含まれます。
カーボンナノチューブでは、その直径とカイラリティ(グラファイトをチューブ状に巻いたときの巻き角)によってラマンスペクトルの変化を得ることができます。全種類の炭素におけるラマン散乱に関する優れた創設に、ナノチューブの詳細な解説が記載されています(Dresselhaus, Pimenta, and Eklund, Ramab Scattering in Carbon Materials, Chapter 9 in Analytical Applications of Raman Spectroscopy, ed M. Pelietier (Blackwell, Oxford, 1999))。
カーボンナノチューブはカイラリティの違いによって半導体あるいは金属特性を示します。カーボンナノチューブは、電気特性の制御性能と数ナノメートル径という非常な小さな構造体であることから、ナノエレクトロニクスや電界エミッタなどの次世代デバイスとしての応用が期待されています。
炭素材料から得られるラマンスペクトルは各種形態によって多様であり、精確に構造や物性を評価することができます。一つのスペクトルを調べることで構造と各物性の評価が行えることから、ラマン分光法は炭素材料の評価に最適な技術です。
参考文献
[ 1 ] F. Adar, Spectroscopy, pp.28-39, Feb 1, 2009, available online
[ 2 ] F. Tuinstra and J.L. Koenig, J. Chem. Phys., 53m, 1126(1970).
[ 3 ] Y. Wang, D.C. Alsmeyer, and R.L. McCreery, Chem. Mater., 2, 557(1990).
[ 4 ] A.C. Ferrari, Solid State Commun. 143, 47(2007), available online 27 April 2007.
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